男の私が子どもを産む

相手の方が、子どもを産むことについて、身体面でいろいろ抵抗があるという。

「体の線が崩れる。体調を悪くする。」

私はとっさの機転(だとおろかにも思っていた)で

「僕が産むよ、遺伝子をちょうだい」

と言った。でもすぐに、本当の意味では深く考えられていなかったことに気づく。

けさ見た中国語の記事では、授乳に関わる胸の激しい痛みについて取り上げていたし、僕の姉も出産で腰をだいぶ悪くし整体に通うようになった。


「体調をこれ以上崩さないならやっぱり産みたいけど、悪化するなら本当に無理」


あれほど子供を産むことを強く望み、今も我が子を目に入れても痛くないほど愛する姉は言った。

この他にだって、男が知らない(思いを至らせていない)辛い状況は挙げればキリがないだろう。


自分の身体が壊れてしまうリスクまで自分は考えられていただろうか。子どもを産むという行為がその個人の人生に大きな、場合によっては本当に大きな取り返しのつかない、制御不可能な負の影響をもたらすことがあることを考えていただろうか。

命がけで生きている人間はいつだってすぐそばにいる。

いつも笑顔を絶やさず楽観的に見える姉もその1人だった。

あなたと私と私の周りにいてくれる人たちにとって小さくても何か有意義なものを紡ぐきっかけになれば嬉しいです。