クジラックスの『歌い手のバラッド』が好きすぎて5000字近くかけて愛を語ってみた

初めて読んだとき、雷に打たれたような衝撃を受けた作品がある。天才エロ漫画家・クジラックスの『歌い手のバラッド』である。

エロ漫画と言っている通り、実に素晴らしい作品ではあるものの成人向けなため、残念ではあるが未成年の方は成人するのを待ってから手に取ってほしい。あと、そういった作品に苦手意識がある人も今のうちにブラウザバックして欲しい。(この表現年齢がバレそう)あと、超絶ネタバレしている代わりに全力で作品の推しポイントをまとめました。この文章を読んでから本編を読んでもめちゃくちゃに面白いことを保証します。私の愛を感じてもらえたら嬉しい。



既に一昔前の言葉になりつつある「歌い手」。ニコニコ大百科では以下のような説明がされている。

ニコニコ動画の「歌ってみた」カテゴリに動画を投稿し、歌唱等を披露している人を「歌い手」と呼ぶ。広義には、ユーザー生放送の「歌ってみた」カテゴリで活動する放送主も含まれる。ユーザー層は千差万別。何らかの音楽経験がある者もいるが、未経験者もたくさんいる。

ボカロPの歌を自慢のイケボでカバーしたり、時には自分で作曲した歌をうたったりすることで女性ファンを獲得している。実はこの作品には(きちんとした言及がされてないので推測にはなるが恐らく)元になった事件がある。実在する歌い手が未成年のファンと性的な関係を持ってしまい、二度と表舞台で活動することができなくなってしまった。その事件を、私は何度も何度も、擦り切れるほど調べた。調べながら、実際に起きた事件を元に社会派エロとも言える作品を創り出した、クジラックスという作家にどんどんハマっていった。

物語の主人公は聖亜という27歳の歌い手。彼は自分の立場を利用して、ファンの女の子たちを次々と喰いものにしていく。物語の冒頭で彼には逮捕される未来が待っていることが提示されており、私たち読者は聖亜に絶望がいつ訪れるのか、ドキドキしながら読み進めることになる。特定の恋人は作らず、とにかく都合のいい存在として多くのJCたちに甘い言葉を囁き続ける。

俺はさ…ファンにとって…いつだって手が届く存在でいたいと思ってる
だからすずもずっと俺のことだけ見てろよ

ここに出てくる「すず」ちゃんという女の子は第1話で聖亜のターゲットになってしまう子だ。(恐らく聖亜は今までにもJCとヤリまくっており、すずちゃんは数ある中のひとりでしかない)このすずちゃんの行動が、後に彼を破滅へと導いていくことになる。すずちゃんが「ハジメテ」を聖亜に捧げようとした直前、彼女は勇気を振り絞ってゴムの存在を問う。

すずちゃんハジメテだから…ゴムだと摩擦で結構痛いかも…
女の子側だけがツラい感じで…それは俺もやだし…

保健体育の授業ってクッソ大事だなあ。ヤリチンがよく言うぜ。

まあ、そんなこんなですずちゃんは言いくるめられてナマでハジメテを捧げてしまい、聖亜から渡されたアフターピルをその後も行為のたびに飲まされることになる。(これも彼がナマでしたいという願望のためだけに飲まされている。絶許。ちなみにアフターピルは頭痛や嘔吐などの副作用を伴うこともある。聖亜がこれを通販で買ってるような描写が作中にあるが、ネットで買うと偽物を掴まされる可能性もあるため、欲しい方はきちんと婦人科を受診することをお勧めする)本当に女の子のことを思っているならアフターピルを飲ませてナマでする、なんて万に一つもありえないのだが、世間知らずのファンたちは憧れの人に会えた高揚感もあって、いとも簡単に騙されてしまう。

ときどき…「俺は歌い手になってJCを食うために生まれてきたんじゃないか」って自分が怖くなるよ

上記の台詞からもわかるような聖亜のこの痛いキャラクターは、作品そのものをエンタメとして昇華するのに一役買っている。そして彼はビジュアルがデ◯ノートのラ◯トにちょっと似てるのだが(それを思わせる描写も第7話にある)、彼が持っているのはヤレそうなJCを管理する「雌ノート」である。(これもひとりひとりのファンがどういうビジュアルでどういう性格か、そしていかにヤレそうかというデータが細かく書かれていて面白いのでぜひ本文で読み込んでみて欲しい)こういうものを作っちゃうところも痛い。痛すぎる。

この作品が優れているのは、台詞のひとつひとつにそのキャラクターの奥行きがちゃんと見えるところである。2話でJCの愛莉ちゃんと遊園地デートを楽しみ、そのあとに自宅に連れ込んで行為に及び、彼女を駅まで送り届けた直後に聖亜は学生時代の同級生にばったり会ってしまう。

そういや小谷(聖亜の本名)路上ライブとかやってたもんな!まだやってる?

同級生に聞かれて言葉を濁す聖亜。

アコギ一本で路上ライブなんて今時流行んねーっての!金にもならんし!女も寄ってこねーわ!
"時代"はナァ!他人の作ったボカ◯曲をエロい感じに歌ってネットにあげるだけでJC喰い放題の"歌い手"なんだよ‼︎

イケイケでJCを喰いまくってる聖亜にも試行錯誤してた時期があったのだと思うと、途端に親近感が湧いてくるから不思議だ。その後に「ダセェ頃の話思い出させんなや…」って心の中で思ってるところに、ダセェ時代があったんだなと、読みながらふふっと笑ってしまう。大学卒業後に就職し、結婚し、一児の父親になっている同級生と、定職につかず「歌い手」をやっている自分。上記の言葉は、不安を払拭するために聖亜が自分自身に送ったエールであるとも読める。

もしち○こがあと数センチ大きかったら
元から自信があって
歌なんて歌う必要なかったかも

これは第3話で繋がった真由子といるときに聖亜が呟いた台詞だが、彼が歪んでしまった原点が最も表れているような気がして、個人的にとても好きな台詞である。

クジラックスの天才っぷりが遺憾なく発揮されている今作だが、個人的にそれが爆発していると感じるのが第4話だ。歌い手のみでイベントが開催されることになり、聖亜はそれのトップバッターに指名される。イベント会場に着くと、専門雑誌の表紙を飾るような歌い手たちが揃っており、聖亜は握手を求めるが、誰なのか認知すらされてない彼は歌い手たちに塩対応されてしまう。ここでの聖亜のキモオタっぷりにリアリティがありすぎるのだ。読者も「あれ?聖亜って歌い手界隈じゃそこまで大したことなかったの?」とここで初めて疑問を抱くことになる。(残念ながら歌い手界隈以外でも大したことがない)イベント出演が決まって舞い上がっていた聖亜だったが、実は元々出演が決まっていた歌い手が急遽出られなくなり、そのバーターとして呼ばれていただけだった。他の歌い手たちが和気藹々としている中に聖亜は入っていけず、イベントでは歌い慣れている曲が急遽ボカロPの要望で歌えなくなり、自分のオリジナル曲を披露するが(恐らく)盛り上がらなかった。(イベント中の明確な描写がないが、たぶんその後の聖亜の不貞腐れっぷりからアウェイな状況だったんだなと推察される。)孤独に追い込まれてSNSを開くと、そこは信者たちからの温かいコメントに溢れていた。傷ついてる状況の中でファンからの声援に励まされ、聖亜は益々オフパコに精を出していく。

4話ではこのあといろんな女の子とヤリまくる聖亜が描かれるのだが、注目したいのは人気JCの生主「かにょん」だ。かにょんは生放送を始めるが、彼女の様子はどこかおかしく、見ているファンからも心配のコメントが次々と届く。結果、途中で体調不良を理由に放送を打ち切ってしまうのだが、放送で映ってない下半身が聖亜と繋がっていた…というだいぶイカれたプレイをしていたことが読者に向けて明らかになる。実は、かにょんとのこのプレイ、実際にアイドル界隈で起きたとある事件が下敷きになっている。2016年にとある人気アイドルが配信をしたのだが、不自然な声や音、人の影のようなものが映り込んでいると話題になった。男と一緒にいるのではないか、もしかしたら配信中に繋がっていたのではないかと炎上。動画を配信した3日後に彼女はファンを誤解させてしまったことを謝罪した。結局彼女が本当に男性といたのか、そうではなかったのか、真相は闇の中だ。かにょんとのプレイは恐らくこの事件が元になっており、クジラックスがいかに世の中のゴシップに目を光らせ、それをエンタメとして落とし込む能力が高いかを物語っている。

第4話の終盤、3話から繋がっていた真由子を犯すシーンに以下のようなモノローグが入る。

有名歌い手ども……
あいつらもどうせリスナー喰いまくってんだろうけど
どうせ成人ババアかJK止まりだろ
JCにこんな思い通りのことできてんのは俺が一番だぜ
見とけよ…いつか一番有名な歌い手になって
てめぇらの鼻を明かしてやる
名前覚えとけ
この俺様が
聖亜だ

幼い彼女たちを自由にできることで自分をバカにしてきた他の歌い手たちにマウントをとる聖亜。自分は求められている、こんなかわいいJCが俺に夢中になっている、彼女たちのハジメテを奪うに相応しい存在である。聖亜はファンをハメながら自分に言い聞かせる。

第5話、第6話は聖亜が全国ツアーと称して、地方の子たちとカラオケオフ会を楽しむ様子が描かれる。(ただのカラオケオフ会なのに日本全国ワンマンツアーと銘打っている。しかも参加するのにひとり3,000円も取られる。すげえ商売だ)ツアー中、聖亜がずっと日記をつけているのだが、日記の文がそのまま絵に乗っかっており、エロ漫画でありながらやたらと活字が多めになっている。5話6話は比喩ではなく、本当に文学を読んでいるかのようである。(あとJCJCと連呼してきたけど6話の最後で関係持ったのJSだった。半端ない。)

作中には聖亜が労働をしているシーンは殆ど出てこない。曲を作ったり、その曲が収録されたアルバムを即売会で売ったりしている描写はあるが、あとはお金のあるファンからの「支援」で生活をしている。チヤホヤされたい、ちゃんと働く気がない、俺は女を自由にできる、俺俺俺。ファンと繋がることは、彼にとって自分の存在意義に対する確認作業でしかない。ファンの子たちの気持ちを搾取して、歌い手として活動を続ける。支援してくれる(貢いでくれる)ファンと、繋がるファンをきっちり線引きする。そうやって気を付けながらファンにお金を使ってもらい、オフパコを楽しんできた聖亜だったが、第6話の終盤で破滅がすぐそこに迫っていることが判明する。聖亜に冷たくされたすず(聖亜はそのつもりがなかったが、すずの方は付き合ってると思っていた)がSNSに以下のような文章をアップし、それが報道関係者の目に留まってしまうのだ。

聖亜(@say_a_good_bye)という歌い手に中出しされて妊娠しました。責任とってくださいね。

第7話では、すずのこの発言がニュースで取り上げられ、今まで繋がってきた女の子たちがそれを見てどんな反応をするのかが描かれる。激怒する子、驚く子、笑い飛ばす子、落ち込む子。十人十色で描写が本当に細かい。これだけ多くの女の子の気持ちを弄んできたんだ、という切なさを噛み締めながら、でも、心のどこかで聖亜が社会的に死んでいくのを寂しい、と感じてしまう自分がいる。

出かけるにもいちいちコソコソしなければならなくなり、自宅にオタクが襲撃してきて嫌がらせのシールをアパート中に貼られ、追い詰められた聖亜は何をトチ狂ったかアナニーに挑戦する。泣きっ面に蜂とでも言おうか、パソコンを遠隔操作ウイルスに乗っ取られてしまい、聖亜がアナニーをしている様子は彼のあずかり知らぬところで生配信されてしまう。

一番有名な……歌い手に……なった…な……

逮捕される瞬間、彼はこんなことを思う。

俺は どこで間違ったんだろう

どこかで、彼を救うことはできなかったのだろうか。散々ファンをハメまくり、自分勝手な振る舞いを重ねてきた聖亜。彼も、歌い手になる前は純粋に音楽が好きな普通の少年だったはずだ。歌い手の聖亜ではなく、普通の少年だった頃の小谷聖司としての回想シーンで、第7話は幕を閉じる。

第8話と最終話を残すのみとなった『歌い手のバラッド』。今回この文章を書くにあたって、改めて第1話から第7話までじっくり読みこんだが、エロを絡めて社会問題を描き切った名作であることを再確認した。成年描写があるので万人におすすめはできないが、ただのエロ漫画に留まらない、クジラックスという作家の魅力が存分に詰まった作品である。(FANZAの電子書籍にて第1話〜第7話まで全て単話で買えます)

https://book.dmm.co.jp/series/?floor=Abook&series_id=586725

#キナリ杯 #クジラックス #歌い手のバラッド

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