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#05 感謝

こんにちは。にじCANメンバーのしゃろこです。アラフォー女子です。

10年以上前、首都圏のあたりに住んでいたころ、ある友人と出会いました。
その友人はぱっと見で性別が分からず、初めて会った時は「?」と思ったものの、「わざわざ聞くのも失礼だな」と思い、聞かずに友達付き合いを始めました。
ただ、最初こそ驚いたものの、性別が分からなくても友人づきあいには何の支障はありませんでした。

ある日、友人がSNSで「自分の性別はどちらでもない」とカミングアウトしました。
私はまたしても「!?」と驚きました。
どちらでもないってことがあるの?
とはいえ、本人に詳細を聞くことができず(チキン…)、とりあえずGoogleの力を借りて性別に関することを検索しまくりました。その結果、性別は男性と女性、トランス男性とトランス女性だけでなく、男女どちらでもある、どちらでもない、中間、分からない、その時々によって揺らぐなどの多様なグラデーションがあることを知り、「……へぇぇぇぇぇ」とスマホを前に三度目の驚きでした。

ですが、振り返ってみれば私自身も典型的な「女性」とはいいがたい気がします。
性自認は女性でしたが、子供の頃は女の子らしい振る舞いや服装を好まず、周りからたしなめられることが多くありました。さらに年を重ねると、「だから彼氏できないんだよ」「中身はおっさん」「早く嫁に行けるよう頑張れ」などといじられ、自分はそういうキャラだと諦めつつもちょっと傷つく日々。逆に、男性に対して「男のくせにだらしねぇ」などと言い返すこともあったりしました(今ではとても反省しています。若い頃の自分をグーで殴りたい)。
ですが、多様な性のグラデーションを知り私なりに学ぶことで、「他人からは女性らしくなく見えていても、ところどころ女性らしくない部分があっても、私は女性である」という私自身の性や価値観を受け入れることに繋がったように思います。
私に大事なことを教えてくれた、そして今でも付き合いを続けてくれている前述の友人には本当に感謝しています。

地元の仙台に戻ってきて、その友人との繋がりからにじCANの活動に参加するようになりました。
正直、特に大したことができているわけでもないのですが、私自身がにじCANで活動させてもらっていることを本当にありがたく思っています。にじCANのメンバーは全員が全員のアライであろうとしている人たちだと思います。自分も他のメンバーのアライでありたいのはもちろんですが、「みんな私のアライでいてくれてありがとう!」という気持ちもとても大きいです。

マジョリティであるということは一見恵まれているようでいて、他人の痛みに鈍感になりやすく大事なことに気付く機会に乏しいのかもしれません。逆に、自分自身を単なるマジョリティではなく「多様な性の当事者」と捉えることで、より丁寧に自分自身と向き合うことができ、自分の性や価値観、人生が今までよりもユニークで価値のあるものに見えてくるような気がします。そして、そう思えない日があっても、他のメンバーがそっと受け入れてくれているような気がしています。
「LGBTは自分には関係ない」と思っている皆さん! 案外、当事者意識を持った方が人生が豊かになるかもですよ~。ぜひ、にじCANの扉を叩いてみてください☆

最後に、にじCANメンバーのみなさまへ。
人見知りかつ情緒不安定につき普段はあんまりそう見えていないかもしれないのですが、みなさま全員超絶愛しています! 今後ともよろしくお願いします。

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