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トランスジェンダー映画祭@せんだい開催によせて

こんにちは。にじいろCANVASセクマイ映画部部長(自称)、こぐまと申します。

にじいろCANVASでは11月20日(日)、宮城学院女子大学「性の多様性と人権」委員会との共催で、「トランスジェンダー映画祭@せんだい」を開催します。この記事では、上映する3本の作品を主観モリモリで熱くご紹介します!
上映スケジュールや料金等の詳細はこの記事の末尾でご案内しておりますので、忙しい方は全部すっ飛ばしてそちらをご覧ください。

☆この記事内で「トランス」は特に説明がない限り「トランスジェンダー」を指します。
今さら説明するのもくどいかもしれませんが、「トランスジェンダー」とは、出生時に(主に外性器の特徴をもとに)割り当てられた男女の性別とは異なるジェンダー・アイデンティティをもつ人々のことです。自分を「女性だ」「男性だ」とはっきりと認識している人もいれば、男女のジェンダーどちらにもあてはまらないと感じる人や、わからなかったり揺らいでいたりする人もいます。また、戸籍の変更や性別適合手術を望むかどうかも人それぞれです。

☆以下の映画紹介には映画の具体的な内容に言及している部分があります。
先入観なしに映画をご覧になりたい方は、鑑賞後にお読みいただければ幸いです。

『ピュ~ぴる』

松永大司監督/93分/2010年

「理想の自分の姿」ってありますか?

「厚い唇、長い睫毛、アルビノみたいな真っ白な肌、無性」。トランス女性の(撮影当時は「トランスジェンダー」の呼称は一般的ではなく、作品内では「性同一性障害」の語が使われています)現代アーティスト「ピュ~ぴる」の頭の中には確固とした「理想のキャラクター像」があり、彼女の作品の多くはそれを具現化したものだと言います。

この映画はそんな「ピュ~ぴる」を、友人である松永大司監督が8年間にわたって追いかけたドキュメンタリーです。
日本での公開から11年、撮影開始時からは20年以上が経過していますが、ピュ~ぴるの作品群は今見ても鮮烈なインパクトがあり、スクリーンに次々に現れる作品たちを眺めるだけでも見ごたえがあります。
もともとクラブで着るための奇抜なコスチュームを自分用に作っていたピュ~ぴるは、次第に表現者として自身を捉えるようになり、周囲からもアーティストとして認知され、テーマのある連作や大規模なインスタレーションも手掛けるようになります。同時に、撮影開始の頃には(おそらく)揺らいでいたピュ~ぴるのジェンダー・アイデンティティは、徐々に女性に寄っていきます。

ピュ~ぴるのように自身の理想像をはっきりと持ち、表現できる人はなかなかいないでしょう。それなのに、異性愛者の男性に恋をしたピュ~ぴるは、「本物の女」には敵わないと嘆きます(観ていただければわかると思いますが、松永監督がピュ~ぴるに投げかける遠慮のない問いにはかなりハラハラさせられます……。信頼関係あってのものなのだと思いますが、それでも)。
映画の中でピュ~ぴるは、ホルモン療法を続け、睾丸摘出手術や整形手術を受け、姿を変えてゆきます。アイデンティティも揺らぐ。苦しそうな時もあれば、幸せそうな時もある。矛盾しているようにも見えるし、痛々しく映る時もある。

この作品は、終始淡々と、その時その時のピュ~ぴるを真っすぐに見つめており、ピュ~ぴるが「”性同一性障害という困難”を乗り越えてアーティストとして成功してゆく」物語にはなっていません。8年分の膨大なフィルムからそれらしい場面を抜き出せば、きっとそのような感動的なストーリーに仕立てることだってできたはずなのに。

いつも思うんです。
どうしてマイノリティばかりが、自分自身の在り方に、愛に、行動に、一貫した説明を求められるんだろう? その人の持つ様々な要素とマイノリティ性を結び付けられてしまうんだろう? わたしたちは誰だって、相手によって様々な顔を使い分け、昨日と今日では別のことを言い、好きだった人をしょうもない理由で勝手に嫌いになったり、適当な言い訳でその場を切り抜けたりしながら生きているのに。

安易な物語化や「トランス女性はこう」という薄っぺらな括りを撥ね退けるようなピュ~ぴるの生々しい姿がこの映画の魅力です。

ところで、『ピュ~ぴる』はおそらく、「性的マイノリティを撮ろう」という動機で制作された映画ではありません。が、日本での公開に先立って多くの海外の映画祭で上映され、観られることを通して、もしかしたら、”セクマイ映画”としての意味づけをも獲得していったのかな……と思います。
日本公開時のインタビューには、イスラエルで行われたテル・アヴィヴ国際LGBT映画祭に招待され、現地のLGBTに関わる活動の熱気に触れて驚いたというエピソードが登場します。

来年2月に公開を控えた松永監督の新作『エゴイスト』は、ゲイ男性を主人公とした作品です。
主演を務める鈴木亮平さんが原作小説の文庫版(高山真著『エゴイスト』/小学館)に寄せた解説からは、制作現場において、「性的マイノリティを描く」ことについての意識がしっかりと共有されていることが窺えます。『ピュ~ぴる』が、そして性的マイノリティのコミュニティと『ピュ~ぴる』の出会いが、『エゴイスト』ともどこかで繋がっているのかな、と想像せずにはいられません。こちらも公開が楽しみです(会場では『エゴイスト』原作文庫本の販売および映画のメッセージカードの配布も行います)。

『I Am Here~わたしたちはともに生きている~』

浅沼智也監督/2020年/60分

『I Am Here~わたしたちはともに生きている~』は、自身もトランス男性である浅沼智也監督によって制作された、同時代の日本に生きるトランス当事者たちの貴重な証言集です。
「今、日本でトランスとして生きるとはどのようなことか」が、年代も立場も様々な出演者の口から語られます。
アーティストや夜のお店のキャスト、タレントとして活動するトランスもいれば、研究者や会社員として働くトランスもいます。

わたしたちは漠然とした「パッと見」の印象で、必要もないのに(そして実際には確かめようもないのに)つい、相手が男であるとか女であるとかジャッジしてしまいがちです。病院、公的機関、就職活動といった様々な場面で、身分証明書に記載された性別とその「パッと見」が一致しないトランスは胡乱な目で見られたり、追及を受けたりすることになる。最近は何かと本人確認が厳しくなり、身分証の提示を求められる場面も増えています。トランスであることを声高に主張したいわけではない、むしろ社会に埋没して生きていたいと感じている当事者にとって、それがどれだけしんどいことであるかは想像に難くありません。

トランスについて少し知っているよ、という人ならば、「それなら、戸籍上の性別を変更できるんじゃなかった?」と思われるかもしれません。
変更を望んだとして、では、何をどうすれば叶うのでしょうか。
もしご存じでなければ、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の条文で確かめてみてください。
この法律に定められた性別変更の要件は、戸籍上の性別変更を望むトランス当事者にとってはクリティカルな話であるにもかかわらず、一般にはその問題点があまり認知されていません。映画では様々な当事者の口からこのことが語られていますので、ぜひ一緒に考えてほしいと思います。

また、この法律制定時の攻防や関わった方々の葛藤の証言も本当に貴重なものです。この、性的マイノリティの権利の実現がもどかしいほど進まない社会で、先人たちがどのように闘ってきたのか。渡されたバトンの重みを感じ、どうにか踏ん張ってこれを繋いでゆかねば、と思いを新たにしました。

家族との関係も様々です。時代の変化もあり、カミングアウトを家族があっさりと受け入れた、という人もいれば、理解が得られず絶縁状態になってしまう人もいます。

浅沼監督が岡山県の実家に帰り、お父さんと並んでインタビューを受けるシーンは本当に印象的です(個人的にはここが映画のクライマックスだと思っています)。
もちろん、画面に切り取られた部分のみでは、ふたりの真意や普段の関係まではわかりせんが、カメラの前だからというだけではない緊張を孕んでいるようにも見えます。浅沼監督のカミングアウトを受け、時間をかけてここまで来たのだろうなということが窺われる場面です。
完全な理解はないかもしれない。それでも愛し、ともに生きることはできる。
これはピュ~ぴるとその家族にも感じられたことです。家族がピュ~ぴるのジェンダー・アイデンティティをちゃんと理解しているとは言い難い。それでも、それまで家族として過ごした時間や築いてきた関係、あるいは映画には表れていない過去のぶつかり合いの経験が、「戸惑いながら、わからないなりに寄り添う」姿として映し出されています。

ところで、3本目の映画『片袖の魚』には、ちょっとだけ、こういう「わからないなりの精一杯の気遣い」を「いつまでそんなことやってんのよ」と叩き落すような、ファイティングポーズみたいなものも感じられます(わたしだけ?)。

『片袖の魚』

東海林毅監督/2021年/34分

主人公のトランス女性・ひかりは、仕事で故郷を訪れることになったのをきっかけに、勇気を出して高校時代の片思いの相手・敬に連絡を取ります。自分を押し殺し、男子生徒として過ごした高校時代を知る人に連絡をするのは、ただ「懐かしい人に久しぶりに声をかける」というだけではない、とてつもなく高いハードルです。
それを受ける敬の「なんか……色々、大変だったんだって?」という、理解がないなりの精一杯の配慮、あたり障りのない言葉選びは、ひょろひょろと力なく飛んでふたりの間に落ちる、届かないボールです。意地悪な見方かもしれませんが、「色々大変」が具体的にはどのような困難を含むのか、知ろうともしない人のことばにも聞こえます。

頓珍漢な気遣いであったり、逆に無遠慮な詮索であったり。そういうものが、ただふつうに生きていたいだけのひかりを息苦しくさせる。
それでも「久しぶりに会おうよ」と言ってくれた敬に、希望と不安を抱きながら会いにゆくひかり。

相手が性的マイノリティであるかどうかとは関係なく、人と人とのコミュニケーションは本来、相手や自分を取り返しがつかないほど傷つける可能性を孕んだこわいものなのだと思います。こわいから、ひょろひょろしたパスしか出せない敬の気持ちも痛いほどわかる。そして、こわくても勇気を出して踏み出したひかりに、敬意を抱かずにはいられません。

ひかりの周囲には、ひかりを受け止め、背中を押してくれる人々もいます。好きな服を着て決然と歩むひかりはかっこいいけれど、そうして立って歩くには、安心できる拠り所が必要なのだとも感じます。

『片袖の魚』は、トランス女性の役をトランス女性当事者であるモデルのイシヅカユウさんが演じたことでも注目されました。
これまでも、日本国内でトランス女性を描いた映画はありましたが、その役を演じるのはほとんどがシスジェンダーの男性俳優です。実社会でマイノリティである以上に、商業的な制作の世界では、マイノリティ当事者がなかなか表に出られない現状があります。
もちろん、大前提として、制作者が最もその役にふさわしいと考える役者が起用されるべきです。それでも「トランス女性の役を、なぜ敢えてシス男性の俳優に?」と尋ねられる方が普通であるほど、トランスの役者の存在が当たり前になれば、映画の世界はもっと豊かになるのではないかと思います。

11月20日は「トランスジェンダー追悼の日」

1998年11月、ヘイトクライムの標的となり命を奪われたアフリカ系アメリカ人のトランスジェンダー女性リタ・へスターの事件をきっかけに、翌年11月20日、ヘイトクライムの犠牲となったトランスジェンダーを追悼する国際的なイベントが開催されました。
現在でも、世界中で、トランスジェンダー嫌悪のために命を奪われるトランス当事者は後を絶ちません。家族、職場、地域のコミュニティから排除され、家や職を失い、人知れず命を落とすトランスもいます。

日本で暮らしていると、「性的マイノリティであることを理由に殺されるなんて」と驚く方もいるかもしれません。
しかし、日本国内においても性的マイノリティを標的にしたヘイトクライムは実際に起きており、また、直接的・間接的な差別/抑圧/排除、そして社会の構造上のさまざまな障壁により困難を抱え、自死にまで追い込まれてしまう当事者も少なくありません。
特にトランス女性に対する差別や排除の声は強く、インターネット上には日々、ヘイトや対立を煽るコメントが溢れています。また、ノンバイナリーの人々は、根強い男女二元論の中で「どちらにも属さない」ことについて理解を得にくいまま、トランスの中で更に周辺に追いやられてしまっています。
このような状況の中で、トランスであることを公表している当事者は少なく、多くの人は自身の身近にトランスは存在しないと思っているかもしれません。

……個人的な思いを言えば、(性的マイノリティに限らず)個々のマイノリティ当事者はマジョリティのための教材ではないし、この社会で生きることに誰の許可も必要ないはずです。わざわざ公表する必要もありません。「差別/抑圧/排除を受けることなく安心して生きる」というごく基本的な権利を享受するために、自分のことを必死で表現したり説明したりして「認めてもらう」努力をせよ、というのはおかしな話です。

けれど、それでも、実際にこの社会に生きている様々な当事者の姿や声は、漠然とした存在に浴びせられる心無い言葉に抗う力を確かに持っています。映画にもその力があります。

今回上映する3作品には、日本に生きる様々なトランスの人物が登場しますが、そのひとりとして同じような人はいません。
トランスであることは、その人の持つ多様な側面のひとつに過ぎないからです。
シスジェンダーの人がそれぞれ違うように、トランスもひとりひとり異なる人格を持ち、そして等しく尊厳を持っています。

「トランスジェンダー」という呼称が一般的になるずっと前から、トランスはこの社会で、既に、ともに生きています。
映画に記録され、あるいは描かれた多様なトランスの姿に触れて、そのことに思いを馳せてもらえたらと思います。

トランスジェンダー映画祭@せんだい

男女共同参画推進せんだいフォーラム2022 参加企画

【日時】11月20日(日) 開場10:00~17:00
10:30-12:00 ① 『ピュ~ぴる』
13:00-14:00 ② 『I Am Here~わたしたちはともに生きている~』
15:00-15:30 トークセッション
15:50-16:30  ③ 『片袖の魚』
【会場】エル・パーク仙台6階 ギャラリーホール
【定員】 各回80名
【料金】 1プログラム 500円 / 3プログラム通し 1000円
【申込】こちらの申込フォームよりご予約ください
事前申込をした方が優先となりますが、当日空席があれば申込のない方もご参加いただけます。
会場ではLGBT関連グッズ、書籍、映画パンフレット等の販売も行います。
上映時間中以外は出入り自由ですので、物販だけでもお気軽にお越しください。
企画・運営:にじいろCANVAS
共催:宮城学院女子大学「性の多様性と人権」委員会

参考リンク集
男女共同参画推進せんだいフォーラム2022 ご案内・リーフレット
『I Am Here~わたしたちはともに生きている~』公式サイト
『片袖の魚』公式サイト
『ピュ~ぴる』日本公開時のインタビュー
『エゴイスト』公式サイト
はじめてのトランスジェンダー
性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律
*2022年11月現在、『I Am Here~わたしたちはともに生きている~』は動画配信サイト「GYAO!」で無料で視聴することができます。映画祭に来られない方もぜひご覧ください!

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