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ダイナスティというドラマ見て考える

ダイナスティとはNetflixでやっている海外ドラマである。
5シーズンまであり、中々長編である。

私は最近、夕飯後から寝るまでをAmazonプラムやNetflixでイッキ見するのが毎日の楽しみとなっている。
つづきが気になって眠れなくなりそうで、もうちょい見ないとと寝る時間が遅くなり睡眠時間が減ることも度々。
これはなんとかせねばならぬこれからの問題となっている。

さてダイナスティというのは大金持ちの企業家の一族のお話である。
登場人物はみな個性的であり、くせ者ばかり。
ヤバくて適当悪い奴らばっかである。
みんな自己中で、思い通りにするためならバンバンお金を使うし、簡単に身近な人でも噓をつき裏切ったりもする。
知らん顔をしつつ、バレたらシラッと謝って片付けようともする。
それしちゃう?ってことも、簡単にして私はムッとしながらみてた。

それでも、家族だから、友達だから、大切な人だからと事あるごとに"愛してる"とお互い連呼している。
私は日本人で、愛してるなんて最大級の必要な時しか使わない言葉だと思ってるから、じゃあね、また的感覚に感じられる。
けれど、簡単に自分の都合で嘘ついたり裏切ったりしながらも、愛というものがないわけではなく、愛はちゃんとあるみたいと感じられた。

私は日本人だし、外国にも行ったことがなく外国人さんとも付き合いはないから私の日本人的感覚なのかなと思ったりする。
私が子供の頃は時代劇やヒーロー者のテレビを見てたから、正義と悪はきっちり分かれてて、そこに嘘も裏切りもなかった。
ドラマだからどうとでもなるのだが、なんだかギャップがありすぎた。

ドラマではすぐ結婚して離婚して、義理の家族はどんどん増えていって、おまけに隠し子もあっちこっちで発覚して現れて。
ヤバい人達の家族が、自分の都合で嘘ついたり裏切ったりで続くドラマであるが、見てたら考えた。

人は一から十までいい人なんていない。
時々はヤバいこと考えて悪いこともするのが人間なんだと。

ドラマで自己中だらけの登場人物達は、時々は自分の都合より人の都合を優先して少しだけ我慢をしたりする。
それが愛なのかなと考えたりするのだが、それでも決して犠牲にはならない。
いつでも自分中心に、自分を大事にしてて、思い通りに生きてる。
それは悪いことではなく大事なことではないかと考えだした。

話が進んでいくとそれぞれに少しだけ考え方が優しくなるのだが、性格は変わらない。
相変わらずヤバい一族なのだが、誰かの犠牲になる必要はないのだと思った。




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