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病院にお勤め

二十歳そこそこの頃、私は病院に勤めていた。
(もう40年近く前の話である)
県立の結構大きな総合病院。
臨時職員として総合受付にいた。

よくある病院の構造で
自動ドアの先は吹き抜けの広いホールで、
正面が総合受付で、その横に薬局があった。

総合受付には高めのカウンターがあり、
正面玄関の自動ドアが開けば、
私たち受付嬢はさらし首のように
首から上だけが見えていた。

そうやってしばらく首をさらしてたから、
あの頃、仕事以外の場所でよく声をかけられた。
「どこかで、お会いしましたっけ??」

好意的ないい感じの人ならちゃんと説明したが、
ただ不思議な顔をする人には、ただ笑って胡麻化してた。

名前までは覚えられてないけど、
顔は覚えられてしまった。
なんとなく有名人気分。

だけど○○病院の総合受付の人なんで
看板しょってる気でいた。
だから、行いは清く正しくを心掛けていた。
小さなゴミだって捨てないし、
汚い言葉も使わないようにと。

社会人もなり立てだったから、
頑張ってた。

あの時の仕事は、受付の仕事としての
新患・再診の受付と救急患者の受付けと入院患者の案内。
それからレセプト(診療報酬)請求があった。

救急車からの電話もかかってきた。
いまなら直通で救急外来へつながってると思うが、
たぶんあの頃は、無線だったので総合受付につながれてたのだと思う。
救急車から電話がかかってきていた。

年齢・性別・状況・症状などしっかりメモって、
緊急外来へ内線電話をかける。
2台の受話器を持って対応する。

「大丈夫です。すぐ来てください。」
って看護師さんに言われるときはよいが、
メモを読み終えることなく、
「ベッドがあいてないので無理です!」
ガッチャン!って切られることもある。
断るのは辛かった。

忘れられないことがある。
いつものように救急車から電話が入り、
取り次いだ救急外来からは、
「ベッドがあいてません!」と
一言で看護師さんに断られてしまった。

受話器持つ、まっすぐ視線の先に見える道に、
止まりそうなほど減速した救急車がいた。
この病院は大きな川のそばにあって
大きな橋を渡って坂を下って、
信号を曲がったらすぐにこの病院はあるのに。

救急車の救急隊員から怒鳴られる。
「すぐそこまで来てるんです!人の命がかかってるんです!!」と。
そんなこと言われても・・・・。 
救急車はスピードをあげて反対方向へ信号を曲がっていった。

二十そこそこの臨時職員である。
何も出来ないのに凹んだ。
人殺してしまいやしないかと。

その頃は、総合受付の電話が鳴るとビックッ!とした。
救急車のサイレンを聞くとドッキッ!とした。
夜なんか寝てても救急車のサイレンが聞こえれば
飛び起きてしまっていた。
いまだに救急車のサイレンには反応してしまう。

あの頃は毎日、本当に色々あった気がする。
もうずっと昔のことで忘れてしまったけど、
そんなことだけ思い出した。









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