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【えーる】ホタル、舞う

 仕事帰りの疲れた体にもうひと踏ん張り無理をさせて、実家のある山へと車を走らせる。
 梅雨の時期には貴重な雨の切れ間。もう7月の声が聞こえ始める時期だったから、もう手遅れかもしれないな、などと思いながら、19時を回っても明るいままの道を走り続けた。

 狙いは、今回の地域情報紙の表面を飾るためのホタルだ。
 今年は新型コロナウイルスの影響で、例年行われているホタルに関するイベントが軒並み中止になってしまったから、イベントの取材を行うことができない。
 にぎやかなイベント会場を撮影しながら、屋台の食事に舌鼓を打ち、そして気が付けば本命のホタル撮影が疎かになりそうで慌てる……そんな時間を過ごせるはずだったのだが。それは、また来年以降のお楽しみになってしまうようだ。

 実家近くの川に、割合多数のホタルが舞う場所があることは知っていた。ホタルの写真でよく見られる、画面いっぱいに太い光の帯が舞う写真ほどのものにはならないことは承知である。
 だが、あくまで被写体は故郷の何か、でなければならない。故郷の良いところを撮影しなければ意味がないからだ。

 国道に面した川を、橋の上からのぞき込むようにしてカメラを設置する。ただじっと夜闇に舞うホタルに向かって、カメラのレンズを向け続けた。

 1分間の露光時間を置いてレリーズのボタンを離すと、思わずおお、と声が出た。まるで昼のような明るさになった川の草むらに、黄緑色の光の帯が写っていた。

 これはおもしろい。肉眼では暗闇に時折光るだけのホタルの光が、このように写真に落とし込めるものか。
 故郷の良いところを取り上げて応援する、という本来の目的をしばし横にやって、よりおもしろい画を撮るために何度もシャッターを開き続けた。

 子どもの頃から、ホタルの姿は家の周りで良く見かけることができていた。暗闇の中、昆虫が放つただの光であるはずのそれは、なぜか目を離させないだけの魅力を持っていた。
 大人になり、肉眼ではなくカメラのレンズ越しに、この光を追いかけ始めた。幾年歳を取ったところで、やはりこの光は心をつかんで離さないものだ。

 この魅力的な光は、しかし、どこでも気軽に見ることができるものではないことを、大人になって知った。
 故郷のきれいな川があってこそ、当たり前のように存在している、ということ。川が汚れれば、それは当たり前ではなく、貴重なものになってしまうということを、忘れてはならない。

 願わくば、自分の子ども、もしくは孫とも、同じように夜闇に舞う光を眺めることができますように。

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