[ひとりごと] あたまの中の世界

ふと自分という存在について考えることがある。
それはいいことがあった時、悪いことがあった時、家にいても、移動中でも、不意に発生する思考だ。
自分がこの五感をもって感じている世界は、おはなしの世界とどう違うのか。
ここに存在しているのは本質的な自分なのだろうか。

頭の中に空想の世界を作ることがある。
それは現実に似て街灯や自販機の並ぶ道でもあれば、映画館や孤児院など、(わたしにとって)非日常な空間であることもある。

場所が変わればわたしも変わる。
スラム街でスクラップを集めて暮らすときもあれば、人の居ない住宅街で、帰らない家族を待っていることもある。

共通しているのは、わたしがその世界の住人となって、起きる事象を体験していること。
1人称視点で事が進むこともあれば第三者の視点で見てることもあるけど、それは間違いなくわたしだ。
創作をするにあたってこれらは非常に役に立つのだが、生活に支障が出るとなると話が変わってくる。

気に入った世界と自分を生み出したとき、そこからしばらく出られないことがある。
期間はまちまちだが、短くて数十分、長くて2週間ほど。
この間わたしは現実にいることが嫌になって、無気力になる。飽きてしまう。
ぼーっと考えることが多くなり、ありもしない記憶を遡って、偽りの自分をでっちあげる。

物語の結末は頭が勝手に与えてくれるので、ただ終幕を待てばいい。
その終わりを待っている時間が、一番気分がふわふわして気持ちがいい。

こんなことを続けていると、どのわたしがどの世界にいて、それが生きているのかどうかも分からなくなる。
わたしは記憶を継いでいる、死んだわたしなのかもしれない。





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