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オヤジの存在


 NHKのラジオ番組"XXとオヤジの時間"とは全く関係ないが、父親一般を語るには便利な呼び名ではある。

 井戸端会議という言葉は、 あまり使われなくなったけれども、その中身は姿を変え呼び名を変えて、どこにでも、いつの世にも存在する。

 言葉の由来は、文字通り、おかみさんたちが、水場に集まって、炊事や洗い物をしながら、話に花を咲かせた風景からだろう。
 会議の中身は、おそらく今も昔も、集まる人たちの年代によって様々だと思うけれども、同年代の人たちの話題は、年齢とともに明らかに変わっていくのが面白い。

 若い頃は仕事や子育て、中年になると、所帯持ちは子供の教育につながる話、さらに老いると、病気の話ばかりになる、etc.

 ところが年代の入り混じった気楽な仲間の集まり、例えば、お祝い事や、法事などで、親族が集まると、これは違って当然ながら、なかなか面白い。このような場では、不思議にも、オヤジが話題の中心になることが多い。

 私の年代の父親たちは、家主としての責任と威厳を保って、慈父よりも厳父が圧倒的に多かったようだ。
 当時としては当たり前のように行われていた父親の体罰や暴言が、既にいい年になった息子から暴露されたり、その父親の態度に同調する母親からダブルパンチを食わされたとか、子供を庇う側に回って夫婦喧嘩になる母親の話とか。
 お嫁さん同士がそれぞれの旦那さんのそっくりな癖を暴いて笑い合ったり、とかくオヤジさんたちは、笑いの標的にされる。
 同じ家に生活しながら、家族の他の人は何も知らなかったような昔話が次々にとび出して、みんな大笑いになったりする。

 大方の威厳ある父親たちは、家族に煙たがられる存在であつたようだ。2,3日の出張でも、不在になると、母親も子供たちも何となくリラックスした雰囲気になるというのが、母親たちの共通の話題だ。

 けれども、当の父親たちの居心地は如何なものなのだろうか。少し気の毒のような気もする。
 男はつらいよ、というのが現実かもしれない。

 自分の遺伝子を受け継いでいる子供の出来は、自尊心も手伝って特に気になるようだ。それが家族の中で、オヤジの立場を複雑なものにしているという気もする。

 論じるには、微妙で複雑すぎる話を始めてしまったが、オヤジを揶揄する笑いの奥には、既に成人し、または親となった彼らの理解と愛情が感じられた。オヤジとは、やはり大切な柱であり、尊敬すべき対象であって欲しいと願う。

サムネイル画像 ©️長谷川町子文化財団



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