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そして誰もいなくなるのは


 アガサ・クリスティの作品に、
  「そして誰もいなくなった」
      (And Then There Were
       None)
という戯曲がある。中身とは全く関係なく、このタイトルだけを、私たちの仲間は、借用させて頂くことがよくある。

 大抵は、或る組織やグループからメンバーがだんだん抜けていく様を皮肉って言われることが多い。

 皮肉ではなくて、身近なところでこれが現実に起こりつつあると、これはもう皮肉なんてものではない。

 多くのシニアが経験するのは、歳を取って肉親が一人もいなくなってしまった時。または親しかった同年代の友人が、1人また1人とこの世を去っていく寂しさ。

 仲間がいるメリットは、会話ができること。そのために、せっせと情報を仕込む。アウトプットする所があるから、インプットにも力が入る。

 70年来、最近は年2回顔を合わせていた仲間も、遂に今年は何時"そして誰もいなくなる"かが危ぶまれるまでになった。

 その仲間には、クラシック音楽の少し名の知れた評論家もいるので、話の流れに乗り損なわないように、いつも音楽情報には耳をそば立てていたものだった。
 それがこの頃は、仕込んだ新知識を聞いてもらう相手を失って、仕込む意欲も失われつつある。

 今や、クラシックの様々な楽曲や合唱団を聞くと、それらに纏わる思い出に浸る日々が多くなった。

 ベートーヴェンの交響曲第七番

 今でこそ大変な人気で、耳にする機会が多いけれども、戦後間もなくの昭和20年代には、ラジオのみが頼りの我々には、あまり縁のない曲だった。
 たまたま、前夜のNHK FM放送か何かでその曲を初めて聞いた仲間たちが、授業前のだるまストーブを囲んで議論が始まった。

 ター タ タ ター タ
  ター タ タ ター タ

という低い音のリズムが、愁を含んだ短調で変化しながら発展していく第二楽章。  そのリズムに乗ったメロディーの行先を、口ずさんでみるものの、みんな記憶がまちまちで、決着は先延ばしとなった。

 時のたつのも忘れて口角泡を飛ばしたあの仲間たちは、どうしているだろうかと、懐かしい名曲を聴くたびに思いを巡らすこの頃である。

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