料理と裁縫

 1ヶ月も前の話になるが、孫娘から、女学校の話を聞かせてとのリクエストがあった。
 私が女学校に居たのは入学後、学制改革で女子高校と名前が変わるまでの2年間でしかない。 それも、三つ組のおさげ髪に紺袴とか、大きな白いリボンのセーラー服などとは程遠いもんぺ姿の時代だったから、彼女がイメージしていそうなロマンチックな話など語れそうもない。

 ただ、制度が変わって明らかに違ったことを一つ思いついた。家庭科は男子も必修になって、女子だけの特別な科目ではなくなった事だ。

 私の通った都立の女子高校の家庭科では、料理と被服の2つのコースからの選択になっていた。それも週に7時間も、である。 英語の5時間より優遇されていたのは、まだ良妻賢母としての教育が重んじられていた名残りだろうか。

 私は、血筋というか、元々裁縫が大好きだったから、ためらわずに被服を選択した。祖母は明治時代の地方都市でお針塾を開いていたし、母も高等女学校の後、更に専攻科に進んでいる。

 週に7時間も授業があれば、かなりの教材をこなすことになる。和裁は浴衣に始まって単衣物、袷(合わせ)、羽織、男物も。洋裁はブラウス、スカートなど基本のものから、ポケットや前立てのあるズボンに至るまで。さすがにスーツまでは行かなかったけれども、戦後の物の不自由な時代に、家族の衣類を間に合わせるには、大いに役に立った。兄のズボン(今はパンツと呼ぶ?)も縫ったし、子供達の洋服は自分のものを再利用したりすると、
 " ママのスカートから首が出て       いる" などと、夫がからかったものだった。

 7時間の被服は大いに役に立ったが、勉強不足や多忙の故もあって、料理の腕はちっとも上がらず、夫には気の毒だった。着る物を作ってあげたのは子供たちだけだつたし。

 家庭科が男子も必修になったのは、時代の趨勢とはいえ、その後の男女共同参画社会に役立っていることは間違いない。夫の育児休業制度の活用が勧められている折ばかりでなく、独身の男性達も上手に家事をこなしている。

 ところで、料理と裁縫では、どちらが長活きするか?長時間台所に立つにはそれなりの体力が要るし、裁縫や手芸は目がよほど達者でないと続かない。身体能力の問題か、興味の強さなのか、どちらが先に衰えるかによるとすれば、もう暫く生きてみないとわからない。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?