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ええんとちゃう

私の中にいるイマジナリー関西人は、ことあるごとにええんとちゃうと呟く。ええんとちゃう。イエスと大きく頷くでもなく、ノーをみっちりと突きつけるでもなし、逃げ道だらけで責任知らずな言葉がしっくりくる私の人生。ええんとちゃう。知らんけど。イマジナリー関西人はさらに責任を放棄する。

最近、といってもここ数年にわたって悩まされていることだけれど、レコメンドだらけの世界にうんざりしている。もうこれ以上何もおすすめされたくない。誰かのおすすめ、それがなんなん。これを買ったあなたにはこれもおすすめ、知らんがな。自分の買うものを自分で選ぶことすら難しいのか。いつから私たちはこんなにも失敗を恐れているのか。テキトーに選んでみた映画がつまらなかった。それの何がいけないのか。ちょっと背伸びして買ってみた調味料は、思ったより背伸びしすぎていた。それはそれで笑えるじゃないか。

ネームバリューのある誰かのおすすめだとか、フォロワー数だけ多い人のおすすめだとか、購入履歴からのおすすめだとか、ずらりと並べられた安牌に透けて見えるマーケティング。近代マーケティングとSNSは極めて相性がいい。どちらも似通ったグロテスクさを持ち合わせている。おすすめだからこれを買って、こんなお悩みにはこれがおすすめ、知る人ぞ知るおすすめはこれ。否応なく喚起される購買と消費者の懐具合が見合っていない。にもかかわらず、おすすめというだけで買ってしまうなんて、健全な資本主義はとうに破綻しているらしい。

健全な資本主義、ならびに購買の破綻に関しては、GoogleやAmazon、食べログ、各種旅行サイトなどが大罪を犯していると言っていい。一大サービスが何かとレビュー機能を付随させているせいで、最近ではレビューを確認してからでなければ買うものも店も選べない人が増えた。誰かによって高評価が下された商品じゃなければ買えなくなったのだ。悲しい哉、貧しい世の中である。

何が言いたいのか?つまるところ、一度だけでもいいから、本当にゼロから何かを買ってみてほしいのだ。何も前情報なく本屋に行ったり、映画館に行ったり、レコード屋に行ったり、雑貨屋に行ったり、正直どこでもいいしなんでもいいのだけれど、自分で選んで、買いたければ買うというごく自然な購買を体験してほしいのである。“自分で選んだものがfor meであった”というこの上ない喜びを味わってほしいのだ。

その時におすすめなのが、イマジナリー関西人を心に住まわせること。イマジナリー関西人は、いつでもあなたの自主性を肯定する。この本買ってみてもいいかな。ええんとちゃう。この映画のチケット全然売れていないけど、観てみようかな。ええんとちゃう。ジャケットだけでピンときたレコード、買おうかな。ええんとちゃう。変な顔した置き物、なんか好きかも。ええんとちゃう。これ買って失敗したらどうしよう。ええんとちゃう。知らんけど。

おすすめされなきゃ何も買えないという現代病には、モノばっかりが増えて肝心の賃金が増えていないという背景がある。失敗している余裕すらなくなってしまったし、昔の失敗と今の失敗とじゃ重さが変わってしまったのかもしれない。そりゃ私だって、おもろい本だけ読んでいたいし、つまらん映画に時間を割きたいわけではない。ただそれ以上に、自分で買うものは自分で決めたるわと思うのだ。

いつの間にかおすすめの豪雨に晒されている私たちは、視界不良でいらないものばかり手に取っている。傘をさしてマーケットを見てみたら、本当にほしいものが見つかるかもしれない。

目に余るおすすめに辟易し、近頃の買い物でどこかしっくり来ていないあなたへ、自分で選んで自分で買ってみることをおすすめする。

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