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2004年のカメラと2024年のTOKYO (PENTAX Optio X)

 さて、CP+2024はまだやってなかった横浜行きの続き。

GRIII

 宿の最寄り駅は元住吉というのだが、住吉神社がどこかにあるのかなと思ったら駅前にあった。お参りして出発。

 またプチ乗り鉄行為をして、一旦多摩川駅に出てから多摩川線で蒲田に向かい、蒲田から今度は池上線に乗って五反田までいってみた。
 やはり関西人から見ると、こことここをこう通して鉄道繋いでも維持できんやろ、というようなところでも、東京だとちゃんと保つんだなあ、と思えちゃう。
 多摩川線はそりゃ、東急線とJRの横接続だろうから、近畿圏で言えばおおさか東線とか阪急今津線とかみたいなのでしょうが、池上線はなんか、わざわざ池上本門寺あたりを大きく迂回して、東急目黒線あたりに寄せたあたりを走ってる感じで。調べれば色々経緯がでてくるんだろな。

PENTAXクラブハウス

ここからOptio X

 まずはPENTAXクラブハウスだ! と思ったら開いてない。11時からだった。待ちぼうける奴は……事前確認が足りないんですよ。
 近くの喫茶店はことごとく混んでて、日本写真館協会のギャラリーも土日は11時から。Oh。結局待てるところ探してたら開店時間になっちゃったよ。

 クラブハウス隣の地域交流館の門番ロボ。いやゴーレムの方だろうか。

 そういえばちらほら雪を見かけていた。そんなに降ったんだ。

 消火栓もいろいろ機能があるのだなあ。

 ちょっとワイドは樽型かな。

 クラブハウスが開いたので突入。

 K-S1レアカラー軍団。

 現物見かけた記憶がまったくない撮ってもEG。そもそも近畿圏でテストされてないから見ようがなかったっぽいな。

 三洋電機とPENTAXともう一社が組んで、レンタルデジカメサービスを仕掛けたのよ。24枚撮れるデジカメを買って、撮り終えて店に持っていくとプリントしてくれる。文字通りのデジタル写ルンですというか。
 2001年にやってたことだからね。だれもスマホどころか画像をきれいに表示できるガラケーすらまともに持ってないくらいの時期。PC持ってる人は多くなってたけど、デスクトップが主流で日常的に使う人なんてどれほどか。
 撮影結果はプリントしたいというのが常識の頃で、まあ、今聞く印象ほど意味不明のサービスではないと思う。
 フィルム現像というのも、大掛かりな専用装置で薬品で処理するから、廃液も結構たいへん。その点、デジタルから直接プリントなら大きく後処理が簡略化される。プリント完了までの環境負荷も小さそう。
 もちろんカメラもリユースされる。

 が、まあ、2001年時点だと、デジカメは「撮ったらすぐ見れる」というのが非常に大きいことが、もうわかってたはずなんよね。特に早期からデジカメを手掛けて各社のOEMで業界を下支えしていた三洋電機は。
 液晶なしで最終出力がプリントっていうデジカメ、ユーザーから見るとフィルムとの違いを何も感じられない。巻き上げいらないくらいじゃないか。
 「デジカメを持つ」っていう特別感、当時は最新のデジタルアイテムが興隆していく時代だから確かにそれがあったはずのそれが、撮ってもEGじゃ何も感じられなかったと思う。

 でもま、無理っぽくてもチャレンジできた時代はよかったよね。今と当時のデジカメ業界を比べたらもう、面白かったのは昔よ。
 PENTAXまだ無茶なことやってるんだけれどもね。

 smc PENTAX-D FA Macro 100mmF2.8の中古品が安く出てたけど、これ買ってしまうと新型を買いそびれるなと思って思いとどまり。次のボーナスで新品で新型買おう。
 かわりに久しぶりにペンタ棒(イメージセンサークリーニングキットO-ICK1)を購入。

日本カメラ博物館

 このビル街と化した麹町大通り、ビルの隙間に頑なに建っている麹町ストアー。昭和のまま残っているらしい

 日本カメラ博物館に久々にやってきた。
 建物はJCII一番町ビル。JCIIは日本カメラ財団だけれど、そこに宝島社が入ってるのはちょっとおもしろい。宝島社って旧称はJICC出版局だったの。JCIIとJICC。
 小学生の頃に、ファミコン必勝本(まだHIPPONになる前)によくハガキ送ってたから、東京都千代田区麹町にJICC出版局があったのを今でも覚えてるのだ。

 展示は「日本の歴史的カメラ120年」。
 入場料300円、「私の歴史的カメラを持ってきて提示すれば100円引き」と支払ってから気づいた。首にOptio Xかけてたのに。
 随分久々に来て、昔来た頃よりはカメラにも詳しくなって、「これ持ってるな」と思ったりするあかん人として見学したのでした。DSC-F828とかの新しいやつだけどな。

 国書刊行会の「カメラとにっぽん 写真家と機材の180年史」を購入。

 すぐ近くの錢高組本社裏の桜? が見事だった、ってこの時期か。なんだろう……?

北の丸公園

 千鳥ヶ淵から江戸城内へ。
 実は私、東京に短期間とはいえ住んでたことがあるのに、江戸城って皇居になってて入れないと思ってたんだよな。
 北の丸は公園だから入っていいって今回の状況直前に気がついた。
 しかも、北の丸公園で見た案内板で、どうも皇居があるのは西側で、天守台があるようなあたりは普段は入っていいと。えー。

 これ98式高射機関砲を設置していた台らしい。特に案内板などもなかった。

 いい枝ぶりの松。こういうときスイバル機は楽。

 北白川宮能久親王の銅像があった。明治日本の激動の波に思いっきり乗って皇族随一の激しい人生を送ったそうで、伝記など読めば面白そう。

 やつでの実につくアブ。

 武道館ってこんなとこにあるんだねえ。
 赤えんぴつ、というのが何かはぜんぜん知らない。アイドルかアーティストか。

 田安門から九段下の方へ。

 食事時だけど何か東京らしいもの、と思ったら小諸そばがあったので、入って鴨南蛮ダブル。やっぱ関東のそばはつゆが黒いな(最近関西でもそばをうどん出汁で出したりしないからちゃんと黒いけど)。

 まだ行きたいところがあるけど、2駅だけ電車に乗っちゃう。さすがに疲れてきた。

湯島聖堂

 小川町まで地下鉄で移動して、ぶらぶら北へ歩いていく。

 聖橋を渡ったところで、神田川を営団地下鉄丸ノ内線が出てくる、けっこう有名な場所に遭遇した。

 そして湯島聖堂へ。

 犬公方と呼ばれる前の徳川綱吉将軍は、槍と刀で問題を解決する気風を排除しようと、儒学者の林鳳岡を重用し、学問の中心としてこの湯島聖堂を建てたのであった。文治派の聖地。
 あれだけ秋葉原まではよく遊びに来てたというのに、湯島聖堂までは来てなかったっぽくて。学問軽視!

 宥座之器が展示されていて、この器は空だと傾き、水をいれていくと、程々に入るとまっすぐになる。しかしもっと入れていくといきなりひっくり返って全部こぼしてしまう。
 つまり中庸を重んじる儒教らしい教えを表している。
 これ「カラもそれはそれで悪い」ということで、禅にいう「吾唯足知」だと、ブラック企業の経営者が従業員に押し付けて低待遇でこき使う理由付けに悪用できる言葉になってしまうのだけど、宥座之器ではそうはならない。孔子は資本主義社会に発生しがちな凡庸な悪をも見抜いておられる。

 この後は秋葉原を久々に覗き、今まで見過ごしていた「秋葉原最終処分場」などが入ってるラジオデパートというのがどこか把握したり(電波会館は前から行ってたけど混同してた)したけど、特にこれを買おうとはなく帰路へ。
 私はもう日本橋でんでんタウンはあまり歩いて喜びを得られることが少ない人間になっちゃったのだが、秋葉原だとまだジャンク屋らしいとこ残ってるからな。まだ楽しい。


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