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"頭が良くて人と感覚が合わない"という話

こんにちは、本日面白い本を読んだので感想などを書き記したいなと思い、久々にブログの記事作成画面を立ち上げました。

安間伸さんの『高知能者のコミュニケーショントラブル: IQが20違うと会話が通じない』という本になります。

kindle unlimitedで無料で読むことができます!気になった方はぜひ読んでみてください。


さて、この著書に出会うまでの経緯をお話していこうと思います。人によってはもしかしたら自慢話に聞こえるかもしれないですが、もしよろしければお付き合いくださいませ。

私はよく考える人間です。人間なのだから考えるのは当然だと思っていましたし、あらゆる可能性を考慮したうえで行動する、気になったことは何でも調べる/聞くという行動は万人が取るものだと思っておりました。

私のブログの別の記事をご覧いただくと分かると思うのですが、うつ病を患っておりまして、先日カウンセリングを受ける機会がありました。『専門の方からなら目から鱗の知見を得られるに違いない』そういう期待をしながらお話をしました。カウンセラーさんの評価を見ても『新しい視点を知ることができて気が楽になった』という声が多かったので大いに期待しました。

しかし、結果としてはほとんど全部自分で考えついていた結論をなぞっただけというものでした。もちろん、私の質問や話の持って行き方が悪かった可能性は大いにありますが…


そこで更に考えました。今までの人生で起こったことについて。

確かに昔から、特に初めて知った事柄以外で『その考え方はなかった!』と良い意味で思った経験が少ないです。(逆の意味、すなわち『そんなに短絡的に考えてるの…!?』と思った経験はありますが…)何かしらの文章を書く時に、明らかな誤用(ニュアンス的な違いではなく明らかに意味が違うことを指す)を頻発させる人が多いことも常々疑問に思っています。(リアルタイムで話すなら間違うのも分かるけど、文章として書くなら調べられるじゃん…)

考えるという行為以外でも、人と感覚が合わないなと感じた経験が多くあることを思い出しました。

まず『数字、ひらがな、カタカナ、漢字を覚えるって何?』と小学校の授業を受けながら思っていた覚えがあります。こう思っていた方は結構多いのではないでしょうか?習った漢字しか使っちゃいけない謎制度も疑問でしたよね!自分の名前をなぜか平仮名混じりで書かないといけなかった不思議

自分の中で学びは遊びなので、幼稚園までに数字の概念全般(四則演算や数の単位くらいは)、ひらがなカタカナ、簡単な漢字、ローマ字は勝手に覚えていました。それが普通だと思っていたので、小学校でわざわざ教えられて『えっ…なんで…?』と困惑していました。

幼稚園の頃は、鉛筆が持てただけで先生に褒められて不審に思っていましたね。周りの幼稚園児はもちろん、全力で子ども扱いしてくる先生と馴染めなくて本当に浮いていました。

小学校低学年の頃、絵本はつまらない(情報量が少ない上に内容が陳腐だと感じていました)から高学年向けの活字本を読み漁っていたら「そんなもの読めないでしょ」って先生に取り上げられたこともありました。火の鳥文庫の伝記本を端から端まで読む計画が頓挫して悔しい思いをしたことは今でもよく覚えています。

子どもだから知ってることを言うと先生に煙たがられるというあるあるなことももちろん経験しています笑 数の単位が全部言えたり、47都道府県や日本史の○○時代を全部知ってる小学校低学年は厄介だと思います。知っていることが厄介というより、知っているのが普通だと思っているのが面倒なんでしょうね…

小学校高学年になっても学校の勉強はつまらなかったけど、小5の秋くらいに中学受験の存在を知りました。今まで見たこともない難しい勉強内容で、小学校のカラーテストを常にほぼ満点を取っていても分からないものがあるのが面白い、ないし自分ができないことができる小学生が大勢いるということに衝撃を受けて中受の世界に緊急参戦しました。

小5の秋に独学で勉強を始めて、小6のGW明けに塾通い(SAP〇X)を始めました。実際に中学受験をしたり、間近で見たことがある方、あるいは二月の勝者などの愛読者は分かると思うのですが、かなり無謀な受験です。

二月の勝者は私もコミックスで読んでいます!臨場感があってゾクゾクします。こちらもこっそりお勧めしておきます。

中受は小4で勉強を始めるのがスタンダード、早ければ小1や小2から準備していることもザラ、遅くても小5の夏には始めないと一般的には厳しい世界です。小6で入塾したいと言っても断られることもあります。(実際何か所かからは断られました)

二月の勝者で言うフェニックスはテストで基準に達していれば構わないということだったので、中堅校を受験するレベルなら受けることすらないSA〇IXオープンをいきなり受験して無事に入塾が決まりました。クラスが6つあって上から5番目からのスタートです。

自分で言うのも何ですが、小6でいきなり塾通いなしでサピに入れるのはすごいんですよ。一昔前だから今よりもレベル感は低めですが、それでも当時から中受塾では屈指のレベルの高さでしたからね。もちろん小6の授業なので基本的な内容(和差算とか通過算とか鶴亀算とか速さと比とか…)は知っている前提で話は進みます。その中で法則や考え方を汲み取って自分のものにしていくのは面白かったです。正直人生で一番生き生きしてたのってこの頃じゃないかな~と。

こういう受験をしたと話した友人には『泣くほど勉強したでしょ?』と言われたことがあるのですが、全然泣くほど勉強してなかったんですよね。追加で他の問題集をやることもなく、何度も反復演習をすることもなく、宿題だけやってました。小6だったので並行して学校で運動会の応援団長をやったりもしていたので、思えばそこまで死ぬ気にはなってなかったです……

最終的に偏差値を15くらい上げて、クラスも上から2番目まで上がりました。四谷大塚の偏差値で70弱ほどの中学に入り、まあ成功した方ではないですかね?そんなこんなで中高はレベルの近い仲間が多くて面白かったです。

ちなみに中受のエピソードを迂闊に話すと本気で恨まれることがあるので、あたかも小4くらいから頑張ってた風に普段は話しています。


しかしここから私の、半分くらいは自業自得な地獄が始まります。

中学校がいわゆる自称進学校だったので、勉強法を強制されるのが苦痛でした。例えば英語の和訳を教科書の通り一言一句違わずテストに書かないとバツにされたり、国語の文法で活用表"だけ"を丸暗記させて小テストを課したり。丸暗記が苦手だし、関連性のない暗号で物事を覚えられないタイプ(なので語呂合わせ系を一度も活用したことがないです。年号なんかも時系列を覚えて下二桁が何の倍数かだけ覚えていたので…)の私には苦しかったですね……

高校生になってその呪縛は大分薄れたのですが、今度は自己流で勉強すると理科数学なんかはセンターで8割を取れるくらいまでのレベルだとサラッとできてしまったので高2で大学受験の勉強に飽きてしまったんですね(アホ)

これは本当に愚かだったと思います。二次試験の勉強をもっとやれよとか、古文どうにかしろよ(英語数学理科社会現代文は全部8割~9割だったのに古文だけ1割でしたからね笑)とか、当時の自分に言ってやりたいです。苦痛に満ちたキャンパスライフを送る羽目になるってね!


そんなこんなで、持ち偏差値より10ほど低い滑り止めの大学に入ったわけですが、とにかく周りの人間と合わない。

ここでやっと冒頭に紹介した本の話になるのですが

まさにこの通りだったなあと、卒業してから思うのです。

理系の大学ではあったのですが周りの学生は、私としては普通に授業を聞いていればまず単位は落とさないようなレベルの試験に四苦八苦し、極力勉強という行為を避ける者ばかり。私は講義の内容が面白いと思ったら他の人にその話題を振ったりしていたのですが「休み時間まで勉強の話しなくてもよくない?」って言われ驚きました。それ以降人と話せる内容がなく、友達も少なく過ごすことになりました。大学って勉強したいから通う場所では…?

研究室のレベルも決して高くなく、モル濃度の計算ができない先輩、非効率的な作業フローを守らないと逆ギレされる日々。例えば、私はそんなにメモを取ったり、教科書にマーカーを引いたり付箋を貼ったりしないのですが、先輩はそれが気に入らなかったらしく細かい部分で揚げ足取りをしてきては叱責されました。(だって聞けば大体の流れは覚えられるし、たとえメモを取っていたとしても細かいところまでしっかりと書いていられるとは限らないじゃないですか)

この頃から明確に周囲との不和を感じるようになって、人と積極的に話せなくなりました。学問の話をすると「アイツ頭いいやつぶって」と、多くの人に思われるんだと気付いてしまったからです。それに、相手にとってつまらない話をしたいわけではないので……


社会に出ても、いきなり仕事ができすぎると嫌がられたり、逆に仕事を与えられすぎてる状況になってノロノロ仕事をしている他の同期と給料が同じであることに不満を覚えたり……とどのつまり仕事ができなくて深いことは考えずに愛嬌がある方が大切にされやすいし、得に生きていけるんだなと悟って、どんどんやる気がなくなっていきました。

大学の頃から散々バカにされてきたり、煙たがられたりして『自分には何もない』と思いながらも、何とかして自己肯定感を上げたいと思って必死にメンタルクリニックに通ったりカウンセリングを受けたりしています。

それでも新しいことはあまり得られなくて、『もしかして自分は普通の人よりあれこれ考えすぎているのでは?』と思い、調べているうちにこの本と出会いました。

読んでみたら『わ、わかる~~!!!』と共感する点が多く、自分はバカではないのかなと少しだけ自信が持てました。内容については、上の方でつらつらと語っていた私の自分語りに似た内容が多くあります。ここまで読んでいて『自分にも似たようなことがあったなあ』と思った方は、そこそこ本の内容に共感できるかもしれないですね

レビューも賛否両論で面白いです。『共感した!』という私のような人や、『根拠がないし、高知能者に過剰な自信を持たせて危険』と批判する人がいました。根拠があまり示されていないのは確かにそうです。論文としては論外といったところですが、これは学術論文ではないので問題ではないと考えます。そして、これを読んだ上で自意識過剰になる人間は真に高知能だとは言えないと思いますね。恐らく私は平均よりは知能が高めだと思う(中々しっかりしたIQテストをする機会もないので正確な数値などは不明ですが…簡易的なチェックだと130くらいで出ることが多いかなってところ)のですが、当然のように自分より高知能な人間はゴロゴロいるんですよ。色んな側面で自分より優秀な人間はたくさんいて、自分は自分の思う賢い人間だとは思えないんです。少なくとも私の場合は。

あくまで、平均より知能が高いけどそれと上手く付き合えていない人間を扱っている著書になります。面白く感じるか、面白くなく感じるかは読み手次第だとは思いますが、私としては『(特に勉強面で)自分はできて当然だと思って振舞ってたら煙たがられた経験を何度もしてきた人』にはぜひ読んでみてほしいなと思います!


最近すっかり自分に自信がなくなってしまい、『自分はバカかもしれない。考えても仕方ないや』と思考を放棄することが多くなってしまったので、昔のように色んな知識を取り入れてああでもないこうでもないと考えながら生きていこうと思いました。

あとは、なまじやれば大体のことがすぐにできるようになってしまうせいで飽きっぽいところも直したいですね。効率的に早く7割くらいができるようになることより、10割を目指すというところに重きを置いて今後は生きていきたいなあと思います。

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