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人生は、何処までも追いかけてくる。それでもカルティエは美しい。

2023年の振り返りとして、初めてジュエリーという物に手を出した。年齢的にそろそろ良いかなと思ったのと、労働繁忙で余暇の余裕なく、手元で物理的に光る物が無いとやっていられない精神状態だったんです別に言い訳が要ることでもないけれど。

10月の値上げ前に、平日さえ行列の伊勢丹新宿カルティエへ。
数年来憧れていたクラッシュの指輪は、それはそれは素敵なのだが、どうしても「カルティエのクラッシュを着けております」という迫力が出すぎて、ダメ押しの試着をしてみたものの、自分の存在感がリングに負けている気分になり時期尚早と判断。
ついでに試してみたトリニティMM は、何だか馴染みすぎて、生意気にも気分が上がらない。7連は使いやすそうで気に入ったものの、カルティエでなくても良いのでは?との思いがよぎり。ほんの出来心でLMにトライしたら、手のサイズ感にグッドバランスで程よい存在感を主張し、コンサバになり過ぎず、運命の邂逅を果たしました。しかも値上げと同時にデザイン変更でボリューム感が控えめになるという。今しかない。決めすぎず、偶然の出会いを受け入れる度量と余裕はいつだって大事。10年以上、なけなしの給料を被服と興行界に溶かしてきた故の境地である?多分。反省はしない。
トリニティ、どれを着けても「馴染む」。店員さんも言っていたけれど、着け心地の良さは技術力なんだと実感。

大人の階段を登る気持ちで、いざ会計。ゆったりソファに、メゾンアイコンのヒョウをモチーフにした内装を眺め、歴代時計ブックをめくりながら、冷えたエビアンさえ、ときめきの非日常。末長くお付き合いをさせて頂きたい思いで顧客カードに記帳。すると「●●駅にお住まいなのですね、私、隣の駅なんです」と、カルティエの店員さんが、仰る。「地元野菜の直売所ありますでしょ。あそこが好きでよく行くんです」。決して新宿の近所でも高級住宅地でもない、郊外のよく言えば落ち着いた住宅地。地元野菜の直売所があるからには勿論、畑もある日日の風景が一気に走馬灯。ウン十万もMIカード切ったのに、これは人生のマサカ…...?新宿伊勢丹4階宝飾フロアのカルティエでソファに行儀良く座っても、日常は私を逃してはくれない。朗らかな店員さんの人柄も相まって地元トークに花が咲くほど、ラグジュアリーな空間で、自分の暮らしぶりを痛感させられる人生のグロテスクさにクラクラした。店員さんと生活圏が同じだからと言って、ブランドに親近感が沸くほど身の程知らずではない位には大人。自分はこの指輪に相応しいのか、見栄えに囚われていないか、内実が伴っているのか。どんなに非現実に逃避しようとも、人生は残酷なくらい何処までも追ってくるし、私は半ば諦めて向き合うしかないのだ。私は私の人生から逃れられない。紅白でポケビも言っていた。この体とこの色で生き抜いてきた道を行く覚悟をするしかない。

さすがカルティエ。夢を売るだけでは、170年以上の歴史を持つ老舗ジュエラーの名が廃るというもの。40万払って己と対峙する機会を頂けるなんて、まさか予想だにしていなかった。見事な洗礼、おみそれ致しました。

繁忙な仕事の日は少しでも気遣いを減らしたいのでトリニティの出番はないけれど、休日のタイミングでよく着けている。思惑通りで、美しく、そして私にしっくり来ている、と思う。このタイミングだったのだとも思う。逃避する美しさではなく、対峙する美しさ。グロテスクだって良いじゃないか、人間だもの。受けて立とう。頑張った証ともご褒美とも慰みとも違う、これは試験石だ。石じゃなくて金属だけど。私がカルティエをのぞく時、カルティエもまた私をのぞいているのだ。現実は小説よりも奇なり。人生はホラー。そして生活は続く。初めてのジュエリーと、一筋縄ではいかない人生の味わい。トリニティは本年で誕生から100周年を迎えるそうですね。できた人間ではないので、今夜もスマホを片手にダラダラ夜長を過ごすんだろうけれど、2024年も私で生きて参ります。


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