正社員を諦めろ

【正社員を諦めろ】申し訳ありません。生きてしまっています。
すみません。ごめんなさい。
投稿しても、誰もがスルーする文書を書き留めることに寒さを感じます。それを許して下さい。私を無視する皆さんを愛します。読んでくれてる方はありがとうございます(ホ・オポノポノ感)

原因はすべて私のせいです。
あるいは、誰も悪くないのです。

どっちの内容で書き続けても、
「私」を読まないと決めてる人の気持ち
は、変えられないと思います。
振り向いて欲しい人が沢山います。

そういう寂しいこと言うなよ、って感じですよね。
ネガティヴを全て隠して、ポジティブに生きたい。楽観的な言葉で包みたい📦

でも、社会的な信頼性が今の私には、どれだけ言葉を尽くしても無いです🈚️
私に誰も期待値を持ってません。
だから、シカトもされる。
憐憫の目で見られる。
これ以上、捻くれることも性格的に無いだろうし、
解釈を曲解して歪めることはないので、大丈夫です。

ありのままの事実と現実を受け入れましょう。
報道された内容を事実として読んだ方には「大人になって他人に迷惑をかけた許されざる人間」と思われてる事実を、私はよく、忘れがちです。
あの報道は、私の主観的な事実とまったく違います。
でも「あれが自殺だ」ということ以外は、言い訳しても、私の心に寄り添い理解してくれる大人も子供も、他者は現れません。

でも理解できない考えだが、味方にはなってくれる……そのような素晴らしい方もいるので、最後まで現実の他者を、こちらから諦めてはいけないですね。(1週間前に諦めてしまってる)
もう一度、自殺して、死んでこの世からエスケープできたら、
その先に何が待ってようと現実の苦しさとは、お別れできるはず。
でも、その選択肢は、今の私にないので、文書を続けます。

今月は、過去の友人たちから、
「今まで言いたかったけど、これ言ったら関係が終わるだろうな」という私の悪い点を、関係が終わる🔚ことを伝えて、聞き出すことができました。

図星つかれて、感情的にもなりましたが、まぁすべて正しいことへのご指摘だったので、彼らや彼女らが優しかったことは、まちがいないでしょう。

間違ってたのは自分の人生の過程で、その中の一つに「正社員志望」があります。これは、大学受験の時の「国公立志望」と似てるので、ちょっとこの場を借りて、次(コメント欄)から分析してみます。写真は、社会的な信頼や学生時代からの友人を、全員失うまでに傷ついた自身の外見と写らない心の写真です。NPO時代にも「話が長い」とみんなに悪癖として指摘してもらってましたね😊

本題です。「国公立志望」の大学受験をした人多くいました。医学部志望も並べましょう。自称進学校の高校に入って国公立の大学に入学しないと恥ずかしいことだと刷り込まれてしまった哀れな人たち🤦‍♀️それを苦しんで20歳前後で命を絶つ若者。国公立の大学に行くために、浪人して予備校に行った人、仮面浪人をした人、私立の大学に入った後に消えてしまった人。いろんな人がいて、私は最初から、その呪いにかからなかったので「バカだな(笑)自分の実力の身の丈や伸び代も理解できずに、周りの人間が国公立を目指すから、自分も国公立を目指して同じように頑張ってれば、合格するだろう💯と勘違いしてるし、学校側からも勘違いさせられてる。俺のいる世界より、環境的に恵まれてるのに、その呪いを本気で信じて妥協できなかった精神性、一時的に妥協して私大に入学した後、4年間の時間を経て、国公立の大学院にリベンジできた人はカッコいいけど、それでもまだ国公立の執着を捨てられてなかったのか、ダッサw」と思いながら、同じ席で勉強して飯食って一緒に大学時代を過ごしてました。

今の私に言いたいことは、ただ一つです。この「国公立」を「正社員」に置き換えて、自分に当てはめて考えろよ、と。それだけなんですよ。諦めないことは美しい。だけど、社会的な信頼性も、社会的な繋がりを含めた昔の友だちも沢山なくして、無視されて、全然違うステージから『あいつかわいそ〜w』なんて思ってもらえるなら、まだ100歩譲ってマシ。本当に起こってる真の事態は、自分の人生をいきることに一生懸命で、SNSに一生懸命(笑)書いてる私のすでにジャッジアイズに見切られて、アウトオブアイズに見捨てられてるということなんです。

それに私自身も気づいてて、目を逸らそうとした。逸らしてはダメです。

私が、公務員の職を離れたのは、5年も前で、無職&九州から抜け出せなくなって、「特別」だと思ってたものを無くしてる間、みんなは次々と毎日を生きる中の「偶然」に出会って、その「偶然」を友達にして「特別」にしていって、この差は、レールを落ちただけで出来た差ではなく、「正社員で福利厚生の整った仕事に就きたい」と学歴&資格で最初にたった一枚だけ渡される"新卒切符🎫"を使い切ってしまった時点で、もう終わってたんです。終わったことを受け入れられずに作った差。国公立の受験に失敗した後も、国公立の大学に行かなければならないと思い続けて固執した際にできた差異💥🦏

裏返してしまえば、25歳の自殺は正しかった。死ななければならなかったところを、救急処置の末に救われてしまい、どうしようもない人生を生きなければならなくなった。終わりの幕開けだったのです。〜第一部・完〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?