自分

動物編
太郎
私が小学1,2年生の頃、父親がコリーの子犬をもらってきた。
毛がフサフサして、鼻筋が通っていて、耳はピンッと立っていてカッコいい。

私は毎日のように太郎と遊んだ。
散歩に連れていって、稲刈りが終わった田んぼに太郎を離して、一緒にかけっこしてどっちが速いか競争したりもした。
太郎に勝った事は無い。

太郎はあっという間に大きくなって、二本足で立つと、小学生の自分より大きいんじゃないかっていう位大きくなった。
これだけ大きいんだから、自分を乗せて馬みたいに走れるんじゃないかと思って、太郎にまたがるとしゃがみ込んでしまう。
もう一度やってみるが、やはり立ってくれない。
それはやはり違ったんだろう。

でも自慢の太郎だった。
黄金の輝くような長い毛、胸元はショール巻いてるような真っ白な毛、凛とした顔つきで、でもどこか優しそうな目で。

そんなある日、太郎が血だらけになってうずくまっていた。
私が修学旅行から帰ってからの事。
「太郎血だらけだ!どうしたんだ?」
父や母に聞いても、何も答えてくれない。
何があったんだ?誰かにやられたのか?
実は、父親がよく角材で殴ったりしてるのを見た事がある。

夜通行人が通ると、その人に向かって「ウォン!ウォン!ウォン!」て、かなりの声量で吠える。
半径100mの家の方々には、間違いなく聞こえる音量。 
酔っ払ってる父親は、仕事で使う角材を持ち出し、思いっきり叩いたりしていた。
しかし、母も私も何も言えなかった。

私の家は父親絶対で、父親が箸を付けるまでご飯を食べてはいかんとか、そういう家だった。
昔からのお武家様な訳ではないのに、そこはこだわりがあったのだろう。

だから、太郎が叩かれても何も言えない自分が何か悔しくて情けなかった。
可哀想な太郎。

間も無くして太郎が亡くなった。
おそらくその怪我が原因で、バイ菌が入ったとかそういう事だったのだろう。
父親は、悲しみもせず、肥料とか籾殻入れるような麻袋に太郎を入れて、粗大ゴミに捨てに行くという。
その頃私は、動物の火葬がある事も知らず、世の中の人は皆んなペットが亡くなると、ここに捨てにくるんだろうなと、切ない気持ちになった。
さよなら太郎。ゴミ捨て山の下にゴロゴロと転がっていく太郎が入った麻袋に手を合わせた。

それから何日かして、近所の父の友達が飲みに来て、父が太郎の散歩を面倒くさがって、トラックの後ろのバーに直接首輪をくくりつけて、村中を走っていた事を言っていた。
村の人達は、犬が死んだから引きずって捨てに行くんだろうなと思っていたと。

その時太郎は勿論生きていて、トラックのスピードについていけず、ただ引きずられるままに血だらけになっていた。

その後私が、修学旅行から帰って来たというタイミング。

その話を私の前で、ベラベラ喋ってる父の友達、バツの悪そうな顔をする父。
父の威厳とイメージが少し崩れたように感じた自分であった。

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