自分

神様編
観音様

昔、私がまだ営業の仕事をしていた頃の話。
 その日の現場は、地元の会社から車で1時間半くらいの田舎の町。
 私は初めての場所なのだが、同乗していた店長とその相棒が、予約の商談あるとの事で私1人が現場に置かれて、2人はその顧客の家に行っていた。

 私1人で営業活動。
 一軒一軒ドアからドアへの飛び込み営業なのだが、なにしろ人がいない地域だった。
 ピンポン押してもウンともスンとも言わない家ばかりで、農作業で忙しいのか、皆さんお勤めしてる家が多いのか、人っこ1人いない感じでトボトボ歩いていると、ポツポツと雨が降ってきた。
 まずい、傘は車に置いたままで、近くにコンビニも商店も無い。
 雨宿りするような場所も無い。
 どうしたもんかと悩んでいると、いきなりバケツをひっくり返したような大雨に変わった。    頭から足までずぶ濡れ状態。

 その頃私は、その仕事を辞めるかどうか悩んでいた時で、ルール無用で売る人が増えて、顧客の取り合い、嘘に嘘を重ねるやり方が横行し、会社も売れば何やっても許されるみたいな感じで、どうしてもその環境を受け入れる事ができず、しかし子供もいて生活もあるしと、頭悩ませていた頃で、土砂降りの雨はまるで滝のように私を打ちつけ、どうする?どうする?自分の気持ちに正直に生きるのか?それとも目先の生活の為に自分の心に蓋をして生きるのか?と問いかけているようであった。
 
 雨宿りするような場所もなく右往左往していると、雨しぶきの先に何やら小屋のような物が見えてきて、とりあえずあそこの軒先にでも入ろうと、歩く度に靴の中からジャップジャップと水を吐き出しなんとかその建物に着いた。
 何とか観音堂と書いてある。
 私の地域には、三十三観音と言って、県の半分くらいの地域に観音様が点在しており、四国八十八箇所を巡るように、その三十三の観音様を巡って、その都度御朱印を押してもらい信仰を深めたりご利益を授かったりするという風習がある。
 私が雨宿りした場所は、その三十三観音の一つであった。
 普通は扉に鍵がかかっているのだが、「ご自由にどうぞ」と書いた貼り紙があったので、びしょ濡れの靴下を脱ぎ中に入らせていただいた。

 そうすると、真正面に黄金に輝く観音様が私を見つめて微笑んでいる。
 手を合わせるのが早かったか、涙流れるのが早かったか、私は泣きながら手を合わせて感謝した。
 住所と名前を伝えて、こういう経緯で雨宿りさせていただいてると。
 お供え物やいろんな方々の寄付の名前が連なり、愛されて大事にされてる観音様なんだと理解できた。 
ゆっくりしていきなさいとは聞こえなかったが、そう言ってるような気がした。

 観音様が私を呼んでくれたのだなと勝手に解釈して、しばらく観音様のお顔を眺めていたら、私が悩んでいた事は、悩まなくてもいい事だと気付いた。
 こんな綺麗な観音様の前で嘘はつけないし、汚い心でいたくないと思ったから。

 雨が降らなければこの観音様にも会えなかったし、私の心も決めかねていただろう。

 次の年、転職した私は家内と一緒に
、その観音様にお礼参りしに行った。
 お陰様で転職も出来たし、自分の気持ちに嘘なく生きれてる事に感謝してる事を伝えた。

 全ての出来事は、つながりがあって理由があって起きてる事なのだと改めて気付かされた自分であった。


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