自分

神様編
鑑定

私は、お宝を鑑定してもらう番組が好きでよく観ている。
そのお宝の鑑定も気になるが、その作者の経歴や生きざま等も紹介され、何かと勉強になるからである。

そして、それが本物であるかどうか、調子のいい時は値段までピタリと当たる事がある。
本物は、邪気が感じられないというか、とにかく無心で何かを表現したいという思いが作品に込められていて、逆に偽物は何とか本物に似せよう似せようとするあまり、筆に勢いが無かったり、覇気が感じられないように感じる。

心の中で、これはいくらぐらいだろうと思えば大抵ニアピン賞貰えるくらいの額だったり、何回に一回くらいはピタリ賞で当たる。
だが、心の中で喜んでいるうちはいいのだが、調子に乗って隣で観ている妻に、「これはこれくらいだろう」と言葉に出すと、大抵大はずれして大恥かく事になる。

「すごい偽物だね」って、間髪入れず私をフォローしてくれる妻に感謝しつつ、反省もさせられる。

もし金額が当たると、間違いなく私は妻から称賛されて、どんなもんだい俺って凄いだろう!というこれ以上無いドヤ顔をしてふんぞりかえる。
そういう思いや望みがあるから言葉にする訳で、そういう思いが無ければ言葉に出す必要もない。

これって、いろんな作品にも同じ事が言えるんじゃないかと思う。
よくミュージシャンとかでも、自分の思いを歌にして、音楽が好きで好きでたまらなくて、世の中に発信し続けてるうちメジャーデビューして売れて、しばらくすると今度は、売れる為の歌を作るよう周りから求められて苦悩するという話をよく聞く。

長年世に名を残し続けている方々は、どれだけの自分と闘い続けてきたのだろうと尊敬せずにはいられない。
お宝番組で撃沈してる誰かとはレベルが違う。

稲盛さんの、利他の心というのをつくづく見習わなければと思う自分であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?