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【歌詞】『浜辺の歌』/古文に隠された心情

 『浜辺の歌』は、大正時代の歌に古文が使われ、感傷的な要素が強いが、情景を想像しながら聴いていると意味の取りづらい歌詞が並ぶ。
 これには、編集の際に、作者以の別人によって、第三節と第四節とがひとつにまとめられたということが定説としてあり、確証もなく不確実な事柄について憶測も幾つも重なり、このことから歌詞の内容をより不明瞭、不自然なものにしている。

 歌の情景をもう少しはっきりさせるために憶測に惑わされることなく、文字として書かれた言葉の意味を拾ってみることにする。
 歌詞は、最も原詩に近いものを挙げると、以下の通り。

『浜辺の歌』

 大正2年(1913年)
 作詞:林 古渓
 作曲:成田為三
 歌:倍賞千恵子

 あした浜辺を さまよえば
 昔のことぞ しのばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 寄する波も 貝の色も

 ゆうべ浜辺を もとおれば
 昔の人ぞ しのばるる
 寄する波よ 返す波よ
 月の色も 星のかげも

 はやちたちまち 波を吹き
 赤裳のすそぞ ぬれひじし
 病みし我は すでにいえて
 浜の真砂 まなごいまは

 原文(大正二年発行雑誌『音楽』に「はまべ」と題されて掲載)は、以下の通り。第三節の「赤裳」「真砂(マナゴ)」以外は全文平仮名。

 あした はまべを さまよへば
 むかしの ことぞ しのばるる
 かぜの おとよ くもの さまよ
 よするなみも かひの いろも

 ゆふべ はまべを もとほれば
 むかしの ひとぞ しのばるる
 よする なみよ かへす なみよ
 つきのいろも ほしの かげも

 はやち たちまち なみを ふき
 赤裳の すそぞ ぬれも ひぢし
 やみし われは すでに いえて
 はまの真砂(まなご) まなご いまは

 この原文に従って意味を拾うと、次のようになる。
 朝方、浜辺を彷徨(さまよ)えば
 昔のことが偲ばれる
 風の音も、雲の様子も
 寄せる波も、貝の色も

 夕方、浜辺を歩き廻れば
 昔の人が偲ばれる
 寄せる波も、返す波も
 月の色も、星の明かりも

 突風がたちまち波を立て、
 朱色の裳(腰に着けた飾り布)の裾(すそ)の濡れもすっかり海水に浸ってしまった
 病んでいた我は、すでに癒えて
 浜の砂(小さくて美しい砂)愛しい愛児は、今は.....

 古語の意味は古語辞書により、以下の通りに解釈している。
  ※「廻(もとほ)る
   自動詞 ラ行四段活用 ら/り/る/る/れ/れ
    本来、「立つ」「行く」「這ふ」の連用形に付いて、巡る、回るの意
  ※「漬(ひ)つ」→近世以降「漬(ひ)づ
   ① 自動詞 タ行四段活用 た/ち/つ/つ/て/て
    浸る、水に漬かる、濡れるの意
    ☞「袖(そで)ひちて むすびし水の 凍れるを 春立つ今日の 風やとくらむ」<紀貫之 古今和歌集>
    ((昨年の夏の日に)袖がぬれても(手に)すくった川の水は、(冬の間は)凍っていたのに、立春の今日の風が吹き溶かしているのであろうか)
   ② 自動詞 タ行上二段活用 ち/ち/つ/つる/つれ/ちよ
    浸る、水に漬かる、濡れるの意
    ☞「袖(そで)ひつる時をだにこそ嘆きしか身さへしぐれのふりもゆくかな」<蜻蛉日記>
    (袖が涙でぬれる時でさえ嘆いたものなのに、今では身まで時雨(しぐれ)にぬれて、年老いてゆくのでしょうか。)
   ③ 他動詞 タ行下二段活用 て/て/つ/つる/つれ/てよ
    浸す、水に漬ける、濡らすの意
    ☞「手をひてて寒さも知らぬ泉にぞくむとはなしに日ごろ経(へ)にける」<土佐日記>
    (手を浸して冷たさも感じない(名ばかりの)その泉(和泉の国)で、水を汲むというわけでもなく日を過ごしてしまった)
  ※「真砂(まさご)
   砂の美称 →上代では「まなご」
   歌詞にて「まさご」でなく敢えて「マナゴ」と読み仮名を振ったのは、砂の意味の「真砂(まなご」と愛しい子の「愛児(まなご)」と二つの意味を掛けると考えられる

 さて、ここで問題点に移る。
 一通り単語の意味を拾っても、『浜辺の歌』の歌詞の最後に、なぜ「はまの真砂(まなご) まなご いまは」となるのか」に至るまでの内容が明確でない。調べたことを以下に述べる。

 この歌詞を作るにあたって参考にした(類似している)と思われる古典作品が二つあり、歌詞の根底を支えていると考えられる。
 それは次の二点で、これらをもとに考えれば、歌詞は大よその意味がつながる。
 (1) 和歌(赤裳を詠った万葉集の歌)
 
(2) 紀貫之『土佐日記』(船旅の途中で承平五年(西暦935年)にあたる如月四日の記述)

 まず、第三節に登場する「赤裳の すそぞ ぬれも ひぢし」の部分は、万葉集の歌からの引用と考えられる。
 【和歌】「 立ちて思ひ 居(ゐ)てもそ思ふ くれなゐの 赤裳(あかも)裾(すそ)引き 去(い)にし姿を」<万葉集二五五〇 作者不詳>
 (立っても思い座っても思う、紅の赤裳の裾を引いて去っていった姿を)

 歌詞の主人公と一緒に浜辺を歩いていた女性(ひと)は、「赤裳の濡らしながら歩いていたが、さらに突風による波で裾をすっかり海水に漬してしまった。そして、何かの理由で去って行った。」と解釈できる。

 つぎに、第一節「かぜのおとよ くものさまよ よするなみも かひのいろも
 第二節「よする なみよ かへす なみよ つきのいろも ほしの かげも
 第三節「はまの真砂(まなご) まなご いまは

 終助詞「よ」は、呼び掛けか感動の意であり、係り助詞「も」は、並列か添加か強調であり、この歌詞のままでは意味を取れない。
 また、浜の真砂(まさご)を「マナゴ」と読ませ、さらに「まなご」を続ける意味が不明である。
 しかし、これらの単語を結びつけて描ける情景がある。それは、『土佐日記』の船旅の途中に泣き娘を思い出す記述があり、これを踏まえているものと考えられる。
 
 『土佐日記』の「如月の四日」に拠れば、
 四日、 取「けふ風雲のけしきはなはだあし」といひて船出さずなりぬ。然れどもひねもすに浪風たゝず。この 取は日も得計らぬかたゐなりけり。この泊の濱にはくさぐさの麗しき貝石など多かり。かゝれば唯昔の人をのみ戀ひつゝ船なる人の詠める、
よする浪うちもせなむわが戀ふる人わすれ貝おりてひろはむ
といへれば、ある人堪へずして船の心やりによめる、
「わすれ貝ひろひしもせじ白玉を戀ふるをだにもかたみと思はむ」
となむいへる。女兒のためには親をさなくなりぬべし。ならずもありけむをと人いはむや。されども死にし子顏よかりきといふやうもあり。猶おなじ所に日を經ることを歎きて、ある女のよめるうた、
手をひでゝ寒さも知らぬ泉にぞ汲むとはなしに日ごろ經にける
                             ※太字筆者
(船頭が、「今日は風や雲の様子が大変悪い」と言って、船を出さないままになった。それなのに、終日波も風も立たない。この船頭は、天気も予測できない愚か者であったようだ。この港の浜辺には、いろいろの美しい貝、石などが多い。
こういうことで、ただ亡くなった人ばかりを恋しがりながら、船にいる人が詠んだもの、
「打ち寄せてくる波よ、打ち寄せてほしい、私が恋い慕う人を忘れるという忘れ貝を、(私は船を)下りて拾うであろう」
と言ったところ、ある人が堪えきれずに、船旅の気晴らし詠んだもの、「忘れ貝を拾うこともすまい、白玉(のように美しい児)を恋しく思う気持ちだけでも、形見と思うであろう」
ということを言った。女児(娘のこと)のためには、親はこのようになってしまうのであろう。
「玉というほどでもなかったであろうに」と人は言うのであろうか。そうとはいえ、「死んだ子は、顔立ちがよかった」というようなこともある。なほ同じ所で日を過ごすことを嘆いて、ある女の詠んだ歌、
「手を浸して冷たさも感じない(名ばかりの)その泉(和泉の国)で、水を汲むというわけでもなく日を過ごしてしまったことですこと」)
                          ※現代口語訳筆者
 『土佐日記』の初めに「風雲のけしきはなはなあし」とあり、天気の状態がはなはだ悪くなる気配と、結局、「浪風はたゝず」、近辺の浜に「麗しき貝石」と美しい貝、石が多いことを語っている。
 このことから、第一節「かぜのおとよ くものさまよ よするなみも かひのいろも」は、「風、雲には悪天候の気配があるが、浜辺の波は荒れてなく足元の砂浜には美しい色をした貝がある。」と解釈できる。
 さらに「よする浪うちも寄せなむ」と願望の助動詞「なむ」を使って、波に打ち寄せてほしいと言い、「わすれ貝おりてひろはむ」と意志・推量の助動詞「む」を使って、恋しいと思う人のことを忘れさせるという貝を拾いたいと言っている。
 このことから、第二節「よする なみよ かへす なみよ つきのいろも ほしの かげも」は、「波に寄せて返して繰り返してほしい。そして、月の色、星の影に暗示される二人の間の出来事を洗い流したい。」と解釈できる。
 そして「女児」、「」、「顔よかりき」と美しかった少女のことを語り、「死にし子」「手をひでゝ寒さも知らぬ泉」とその少女がこの世いないこと、しかも「日ごろ經にける」と昔のことであると語っている。
 このことから、第三節「はまの真砂(まなご) まなご いまは」は、「歌詞の主人公が歩いている砂浜の砂は美しく、愛しい女性(ひと)を思い出させるが、今はもうこの世にはいない。」と解釈できる。

 以上、万葉集の和歌と『土佐日記』の記述とを合わせた類推から、『浜辺の歌』では、つぎの情景を思い浮かべる。
 朝方、浜辺を歩いて、天気の悪くなりそうな気配の中、昔、二人で歩いたことを思い出す
 あのときの風の音も、雲の様子も、寄せる波も、貝の色も
 夕方、浜辺を歩いて、忘れたいと思う昔の人(恋人)のことを思い出す
 あのときの寄せる波も、返す波も、月の色も、星の明かりも
 あのとき、着物の裾を濡らしながら二人で砂浜を歩いた
 突然の強い風が吹きつけて大きな波が寄せ、着物の裾は海水に漬かってすっかり濡れてしまった(二人の間に何か起きた暗示)
 そして、主人公の思いをよそに恋人は去ってしまった
 主人公は病んでいたが、それも癒えて(病気か、心傷か)
 きらきらと美しい砂を踏みしめながら歩いて、愛しい女性(ひと)を思い出すが、その女性は、今はもうこの世にいない....
                               <了>
 ※タイトル画はウェブより拾ったもの

※いろいろな歌い手が歌っている中で、倍賞千恵子の歌う歌詞が一番原詩に近い

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