壁と卵と人類嫌い

村上春樹は比喩として

「壁」を強固な制度や政府に喩え

「卵」をひとりひとりのか弱い人間に喩えた

そして彼は言った

私はいついかなる時も、

卵の側につく、と。

私はこの言葉に感銘を受け

今、世の中に必要とされている基本的な考え方だと感じた

つまり、トランプ大統領だって

安倍元首相だって

不倫をした芸能人だって

凶悪な犯罪を犯した人間だって

自分には理解しがたい領域にいるように思えるこの人たちだって

か弱い人間の一人なのだということ

あなたの親戚にいるおじさんのように。

でも、ネットやテレビを通して彼らをみると

どうしたってこうしたってそうは見れない

きっと、

トランプさんだって安倍さんだって

直接会ってお話をすれば

好きになる確率は結構高いと思うよ?

この生のコミュニケーションが成り立っていない人のことを

どうこういうのは少し控える、この気持ちが大事だと思う

これは色んなものに当てはめることができる

たとえば、繰り返し起きてしまう大学の部活内の暴力事件

寮生活という閉鎖的な空間が元を辿れば原因だったりするのに

ネットを見ると、暴力を振るった個人を徹底的にたたいている

本当に戦うべきは、それが起きてしまう原因=制度のほうなのだ

そしてもっとマクロに

中国人という国籍や、韓国という国、黒人という人種で括ってみてしまうと

そもそも、人類嫌いになってしまう

自分が変えられないものに難癖つけるよりも

マザーテレサじゃないけれど

隣人との間に平和をつくっていこうよ

少し偏屈な考え方だけど

BLMやフェミニストの活動に

いまいち共感できないのは

私や私のまわりの人が、身近に、その問題を抱えていないから。

だって、身近に抱えていない問題に

本当に切実な問題意識は持てないもん

子どもを持ってみないと

育児の本当の大変さがわからないように

子どもがいない人が育児を語るのをみても

なんだこいつ、としか思わないでしょう

いまは少し、世界中の人が視野を広げすぎているんじゃないか

だから、もっと身近なことから世界をよりよくしていくのがいいんだと思う。今は。

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