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土偶かわいい派よ、そして板状土偶へ

鉄道ファンほど細分化はされてはいないはずだが、縄文好きにも色々な種類がいる。その中でも最も大きなグループが「土偶かわいい派」だ。

土偶に「怖い」、「恐ろしい」という印象を持っている、「土偶ヤバイ派」からしてみたら、何とも不思議な一派だが、土偶のようにわけのわからないもの(研究者から見てもまだ答えは出ていない)に、個人的な何かを多少投影したってお互いにバチは当たらないだろう。ただし、「土偶かわいい派」に言いたいことがないわけじゃない。

板状土偶のことを忘れてないか?

個人的な考古館巡りや雑誌の取材で、各地の縄文土器や土偶を見てきた。おっそろしい土偶やかわい子ちゃん土偶も、利発そうなあいつも間の抜けたあいつも、たくさんの土偶を見る機会があった。

かわいいにも色々あった。中部高地、北杜市で見た気の緩みきった素朴でかわいい土偶たち、東京で見た万歳したあいつも元気いっぱいで良かった。個別に見たらどの地域にもかわいい土偶はいる。国宝のビーナスだってかわいいと認定しても良い。しかし、僕のオススメしたいかわいい土偶は、三内丸山の板状土偶達だ。これは「土偶かわいい派」もあまりふれていないようなのでこの場を借りて言わせていただく。

三内丸山の板状土偶と言えば有名なこの大型板状土偶のことだが、彼女はどちらかといえば(どちらかと言わなくても)、「土偶ヤバイ派」だ。

しかしこの影に隠れるように三内丸山では大量の板状土偶が出土している。その数なんと2000点以上(後述するがこの数は異常に多い)。そのほとんどが「かわいい」のだ。可愛いだけじゃない。十字形の板状土偶というルールはあっても大きさも表情もデザインも全部違う顔をしているのだ。

縄文時代、土偶は常に縄文人の暮らしの身近にあったものではなかった。それは今までに見つかっている土偶の数が遺跡の数に比べて随分少ないことからもわかる(縄文時代の遺跡数9万箇所に対して土偶の数約2万個、土偶が出てこない遺跡の方が多い。三内丸山が土偶全体数のなんと10%を占めている)。約1万年という期間を考えてもこの数は少ない。土偶は何かしら特別なものだったのだろう。

土偶の役割についてはもちろん、三内丸山の異常な土偶の多さについてもやはりわかっていない。

ここにいくつかの板状土偶の写真を載せさせていただく。印象論はあまり言いたくはないが、三内丸山の板状土偶たちを見ていると、昔の懐かしい友達のことを思い出す。冗談を言い合った放課後の教室の風景、めかしこんで一緒に行った合コンの帰り道にの反省会、初めてできた恋人に、仲違いしてしまったかつての親友のこと。

三内丸山の板状土偶は誰かの個人的な何かを込めているかのように僕には思える。

みんな違って、みんなかわいい〜❤️

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