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「東大生」の使い方がヘタクソ:追記

もう一つ与太話をしよう。

成人式の同窓会の際の話である。数年ぶりの友人や恩師たちと どんな想い出話が出来るのかと楽しみにしながら、再開を待ち侘びていた。

当日、参加した友人や恩師たちは過去の想い出話に花を咲かせていた。長い時間を共有した人たちとの想い出話とは、何度コスっても面白いものである。止まったはずの時間が動き出し、想い出の時間の中に少しだけ戻っているようであった。

だが、私の止まった時間は動き出さなかった。
友人と話せば「東大に行ってるんでしょ?すごいね」と、恩師と話せば「素晴らしいね、どんな職業に就くの?」と言われた。参加者は思い思いに過去の想い出のことを話している中で、「あの頃の私」を思い浮かべて、話しかけてくれる人は誰一人としていなかった。皆は私の現在や将来に興味があるが、過去の話には目を向けてはくれないのである。

私も、皆と同じように、過去の想い出に一日くらいは浸りたかった。同じように、あの頃に連れて行って欲しかった。でもそれは叶わない夢だったのだ。

無論、私に期待してくれるのは嬉しいことなのだが、それでもどこか拭いきれない「断絶」を感じたのだった。

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