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退路を断った結果、唯一受験した難関国立大学大学院への進学が決まった話

私の人生の1つの区切りを迎えたので、
◾️これまでの振り返り - the past
◾️今何をしているのか - the current
などをアウトプットし、自分の頭の中を整理していきたいと思う。(できる限り簡潔にね笑)

人生の1つの区切りとは、具体的には、神戸大学大学院への進学が決まったことである。
これを機に、これまでの振り返りと、今何を目指して、何をしているのかを整理していきたい。

◾️これまでの振り返り - the past

自分は学部3年終了後、2年休学し、休学期間で、
(1)最初の半年でフリーアコモデーションを活用し、海外長期旅のための資金集める(in Tokyo)
(2)その後の約1年で欧州・中東を旅する
(3)最後の半年で本格的な英語学習と院試勉強
のようなことをしていた。

書くのがめんどくさいので(1)はカットする。

(2)ついてだが、約1年ほどかけて欧州・中東合わせて20ほどの国を訪れた。この期間では、特に自分が人生で行ってみたかった場所 (ex: アウシュビッツ強制収容所、アヤソフィア、ピラミッド、メッカ←ムスリムしかメッカに入れず行けなかった泣、3大宗教の聖地でマルコポーロの書籍にも出てきたエルサレム、パレスチナ、ギリシャでも独自の文化を発展した背景を持つクレタ島などなど) を中心に周り、それ以外にもセルビアやボスニアヘルツェゴビナ、ヨルダンなどのそこまでいきたいと思わない場所にも行ってみた。

なぜ行ってみたいとも思わない国や地域も回ったのか、それは、意図的かつ計画的ではない行動をとることで、案外面白いことが学べたり、他の国々との歴史的・文化的な繋がりを学ぶことができるからである。実際、ボスニアヘルツェゴビナなんかに関しては、「首都がサラエボにあり、オーストリアの偉い人たちがセルビア人青年に射殺されてWW1のきっかけとなった地だよな」くらいの認識しかなかった。しかしながら、行ってみると、非常に興味深いことが多かった。例えば、ボスニア中心部にある建物のほとんどに、ユーゴスラビア紛争時に飛び交った銃弾の跡が痛ましく残っていたり、ボスニア中心部には、キリスト教地域とムスリム地域を分断するボーダーがあり、そこを境に両側に全く異なる景色が見えたり、食べ物が異常に美味しかったりしたことであった。案外、何も知らない国に行くのは、時間がある人にとっては非常に面白い。

また、この旅においては、ハンガリーのホステルでのウクライナ人との出会いから、ポーランドのクラクフに移り、1ヶ月半ボランティア活動に従事した。この活動で学んだことは
①生まれた場所が違うだけで、とてつもない格差が生じていること
②言語学習を継続することは、世界を広げることになることであり、最高にエキサイティングなこと
である。

ボランティア活動先では、スタッフが主にポーランド人・ウクライナ人から構成されており、英語を話せる人が少なかった。しかしながら、最低1ヶ月は活動してみたいと思っていたので、彼(女)らとも仲良くなりたいと思い、少しのポーランド語やウクライナ語を学んで活動拠点に行ったりしていた。嬉しい思い出なのだが、ウクライナ語を初めて話した日、ウクライナ人が嬉しそうにハグをしてくれた。言語学習はこういう瞬間のためにするものだと強く感じた。そして、一方では、自分の伝えたいことが全く言えないもどかしさに襲われた。これからも言語学習は継続していきたいと感じた瞬間だった。

また、パレスチナでは、現地で出会ったパレスチナ人にアイーダ難民キャンプという数多くある難民キャンプの1つに連れて行ってもらい、どのような状況なのかを教えてもらった。また、イスラエルの入植地とパレスチナ人居住区がモザイク画のように入り組んでいるヘブロンも訪れた。それらの滞在経験から「生まれた場所が違うだけで、非常に過酷な生活をしている人々がいる」ということを肌で実感した。

具体的に何が非常に過酷なのか、以下、箇条書きする。
・イスラエル軍の監視している者によって危険だと判断された場合、10歳くらいの子でも催涙スプレーをかけられたり、銃を向けられたりすることがある
・イスラエル側に入れる者は、イスラエル軍の審査を通ったもののみ (仕事があっても、通れないこともある)
・生活に必要なインフラ (水・電気など)はイスラエル政府が管理している
→イスラエル-パレスチナ側の関係性によって、供給量などが変わることも
・小学生の登下校で、イスラエル軍の検問所を通過するのが当然に行われていること

日本という小さな島国に住んでいるだけでは、到底感じることができない世界のリアルを実感した。
それと同時に、日本がいかに経済的・社会的側面で、恵まれている国であるかということを感じた。

これらの経験、特にパレスチナにおいて感じた世界の格差を少しでもなくしていきたいと感じるようになった。もちろん、日本にも社会問題(高齢化、メンタルヘルス、自殺など)があるが、それらの問題解決に取り組む以上に、世界で日本国内で起こっている格差以上に大きく広がる格差・問題に立ち向かっていきたいと考えている。1年の長旅に行く前は、旅が終われば日本で普通に就活してサラリーマンとして働く予定であったが、この経験を契機に、大学院では「国際協力」「支援」を軸に勉学に励むことを決心した。

続いて(3)についての話になる。

帰国したのは、昨年の8月末であったが、就活は全くせず、
以後「英語力向上」「大学院入試合格」を2024年末までの目標として活動した。

「英語力向上」に関しては、国内で知名度の高いTOEICなどの勉強をするのではなく、4技能をみっちり学習できる資格取得を目指して語学力向上に努めた。

まず挑戦したのは、英検準1級である。これは2ヶ月ほど対策し、県内で上位4%の好成績で合格した。その後、どうせなら院試の勉強を開始する前に、英検1級を取ってしまおうと考え、2ヶ月ほどみっちり対策した。ただ、こちらはListening&Writingが足を引っ張り、1次試験で不合格となってしまった(あと1ヶ月あれば、受かってた気もするし、悔しいから、2025年までに必ず1級受かりたい)。ここで私の英語学習は一旦ストップ。

続いて「大学院入試合格」のために4年の4月から本格的に
・研究計画書
・専門科目の学習(国際関係論)

などを開始した。

専門科目の学習については、自分の興味のある分野であったが、学部時代の講義では、本格的に学習したことのないもので、ほとんど初歩のスタートとなった。しかしながら、自分の興味のある分野であったため、学習&理解はスムーズに進んだ。しかしながら、これでは不十分で、いかに国際関係理論を今現状起きている事象に当てはめ、検証することができるのかということが重要となる。

そのため、最初の2ヶ月ほどはじっくりインプット&理解するための時間にしたが、その後はアウトプットできるよう、過去問や時事を中心に、ChatGPTなどを一部活用しつつ、国際関係理論がどのように適用できるのかを考えていた。

試験は9月初旬にあり、1次試験(ペーパー)と2次試験(口頭)で2日間にわたった。
1次試験に合格した人だけが、翌日の2次試験に進めるといった具合だ。

自分は緊張しやすい性格のため、1次・2次の前日の夜はほとんどん眠れなかったの覚えている(笑)。
しかし、試験当日は絶対に受かってやるという気持ちで1時間30分集中して、問題を解き進めた。

試験問題は、専門科目の勉強で対策していたところが多く出題され、しっかり対策して良かった。

結果として、神戸大学の大学院合格することができた。
実際、倍率は2倍ほどだったため、普通に落ちていた人もいた。院試は割と簡単と言われることもあるだろうが、受験者の半分が落ちていたと考えていると、半年ほどしっかり準備してきて良かったと感じた。仮にこの試験に落ちていたら、中途半端な就活をしており、自分の人生に納得いかなかっただろうから。

◾️今何をしているのか - the current

現状、私が力を入れていることは以下である。
・英語学習(TOEFLiBT)
・インターン
・卒論(全然やってないから、やらねば笑)

特に、英語学習(TOEFLiBT)は自分にとって最も力を入れているものである。なぜなら、大学院での交換留学のためのスコア取得、将来的に国連機関やJICAなどで海外で働く際に必須になるからである。

現状、JPO試験受験者の平均点より少し低い点数であるTOEFLiBT100点を目標にし、現状学習に励んでいる。なぜなら、自分の現時点での目標として、国連の事務局で活動することを志しているからである。まずはTOEFL用の英単語と英熟語を固め、それから実践学習に移行していきたい。

院試の勉強を開始する前に、TOEFLの勉強を開始していたのだが、その時点でRの目標点である25点レベルには達していたので、Rはそこまで問題ないかと思う。これからは自分の苦手であるListeningと日本人が苦手としているSpeakingを重点的に学習し、年内にTOEFLiBT100を取得するレベルに達したい。TOEFLiBT100を達成した後は、英語学習は継続しつつ、フランス語の学習を開始したいと考えている。





とりあえず、今自分の頭の中にあることを、ずらずらと書き連ねてみた。
言語化大事だからね。

これからも何か動きがあったら、ここに書き足していくかもしれない。
では、また。



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