小林正典

筆名三神工房でコスモス文学中篇部門新人賞、神戸新聞文芸佳作受賞、R2年筆名を船木千滉に…

小林正典

筆名三神工房でコスモス文学中篇部門新人賞、神戸新聞文芸佳作受賞、R2年筆名を船木千滉に変更。 造船所8年、商社20年、会社を興し今は毎日が日曜。高校時代に裏山の竹で船を造り、造船大学へ。 モノ造りの経験から人と船・海・海外の話を書いて行きます。(エブリスタ等、小説を発表中です)

最近の記事

CRAFTSMANSHIP

It was October 1, 2002, just after 9:00 pm, my cell phone rang. A phone from my partner who was in Nagasaki, a business trip. Firstly he said "The passenger ship is on fire!" I watched TV by his suggestion. And then, for the next over thir

    • CRAFTSMANSHIP

      あれは2002年10月1日午後9時過ぎ、携帯が鳴った。相手は取引先、開口一番「客船が燃えてる!」と、長崎からだった。それから三十数時間、船は燃えつづけた。彼女の名は、M/S Diamond Princess。 それから1年半、造船所が七転八倒の末、2番船を先に就航させる。その最中、「もうやっとられへん」と、深夜に宮大工の親方から電話が入る。聞けば競合他社に現場を荒らされ、酒を飲んでいた。彼の年齢では規定違反だが、その凄腕を見込んだ造船所は「視察」だとして黙認した。翌朝長崎へ

      • 【日本の底流】「憲法記念日」

        それほど古い話ではないのだが、東京と大阪には凡そ400キロという距離以上の隔たりがあった。 例えば東京の蕎麦屋、たいてい土間には背凭れのない木製の長椅子があり、皆そこへ座った。蕎麦は東京に限るのだが、出張で限られた合間に喰う蕎麦は、黒い出汁の割には美味かった。そこへ大きな荷を担いだ行商の叔母さんが入って来て、他の客に遠慮しながら荷を下ろす。そしておもむろに「ここ宜しいですか?」と、私の座る長椅子の空いた所に座って良いかと聞く。少なくとも3人座れる長椅子に私1人だけだったので

        • [日本の底流】「1300年の歴史」

          滋賀県蒲生郡日野町に「鬼室神社(鬼室集斯の墓)」がある。貴室集斯は、7世紀に朝鮮半島から日本に亡命した百済の貴族であり、今で言う大学総長を務めた。日野には王族を含む渡来人男女700人余が移住したという。 https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/957/ (日本語) 【注】上記サイト、英語にするとなぜか別の画面になる。お許しあれ! https://en.biwako-visitors.jp/ 我が故郷・三重県松阪市の礎を築いた戦

          第10話「長きに渡る出張の末」

           土曜日の夕暮れ、コペンハーゲン一の繁華街と言われるストロイレ通りを歩く弘明は、出張に出て初めて買物をした。  週末の人通りに観光客も多く、弘明が何軒か立ち寄ったのはいわゆる土産物屋。衛兵やバイキング姿の人形を幾つか買った。小学生の息子が喜ぶか否かはともかく、こんな物を売っているのだと話をしてみたかった。  思った以上に陽の長い街は、夕暮れになるにつれ更に魅力的な装いを現わし始めた。日本人にしてみれば薄ら寒い外気の中でも、店の前の石畳に用意されたテーブルは客で埋まり、思い

          第10話「長きに渡る出張の末」

          第9話「コペンハーゲンへ」

           弘明がフィヨルドの街ノルウェーのベルゲンからデンマークのコペンハーゲンへ入ったのは、10月6日の土曜日のことだった。  ベルゲンでの2日間、弘明はコンテナを扱う船会社を訪問して固縛金物の営業を行った。あと残すのはコペンハーゲンの船主の2社だけ。  それで弘明の予定は全て終わり、日本へ帰国出来ると思うと、ようやく弘明の心にも余裕が出て来た。一ヶ月ぶりに帰る我が家、すぐにでも思い出すのは味噌汁と塩鮭の朝食。 (解した鮭をご飯にのせて、熱いお茶を掛ければ……)  と頭に描い

          第9話「コペンハーゲンへ」

          『空飛ぶ魚』が100個目のスターを獲得しました! https://estar.jp/page/info/congratulations/star/25753095?star=100

          『空飛ぶ魚』が100個目のスターを獲得しました! https://estar.jp/page/info/congratulations/star/25753095?star=100

          第8話「東西に裂かれた国の民」

           ホテルの名はフルスファー、英語ならばリバーサイド。ガイドブックで意味を知った弘明は、なぜか陽水の歌詞が頭に浮かんだが、泊まったホテルはまた別の趣だった。  朝目覚めれば、重厚なカーテンの隙間から薄明かりが差し込んでいた。部屋の隅のラジエーターは一見頼りなげなのだが、それでも効いているのか寒くはない。  馴染みの薄いサラサラのシーツを跳ねのけた弘明は、独り寝には大き過ぎるベッドから起き上がり窓際へ。  夕べ飲んだドイツビールのせいか少し頭が重い。だが二重のカーテンを開け

          第8話「東西に裂かれた国の民」

          第7話「海のない国際港」

          「すみません、荒木課長……おられますか?」  腕時計を見ながら弘明は、長崎の五洋造船へ電話を掛けていた。手元の時計は午前10時を少し回ったところ。 (時差は7時間だから、向こうはちょうど5時か)と思いながら、弘明は船装設計の荒木課長が在席していることを祈った。土曜日だが、新造船で忙しい時期だけに、荒木は必ずいると踏んでいた。 「はい……荒木です」  暗く低い声は、目当ての荒木に間違いない。 「すみません、芙蓉貿易の山岡です――」 「ああ山岡さん、欧州じゃなかと、どげん

          第7話「海のない国際港」

          第6話「海抜0mの街」

           空港からロッテルダム市内まで、宇佐美は古賀とは違い欧州製の大型自家用車で弘明を送ってくれた。  空港自体、よほど田舎にあるのかと思ったが、実際は風光明媚な公園に囲まれているだけで、ホテルまで車でほんの十数分の距離だった。  周りに高層ビルはなく、国土の四分の一が海抜0m以下というだけあって、どこまでも平たい。ただ国民性の違いか、空の暗さはロンドンと変わりがないのに、緑に覆われた大地はどこか朗らかに見えた。 「ロンドンは、たいへんだったらしいなあ……」  真っ直ぐな道

          第6話「海抜0mの街」

          第5話 「走る稲妻」

           9月28日金曜日、弘明はイギリスからオランダのロッテルダムへ飛んだ。オランダといえば首都アムステルダムが有名だが、船を生業とする芙蓉貿易に取っては、世界最大の貿易港であるロッテルダムが重要だった。  ロンドンを飛び立って弘明は、朝ホテルから自宅へ掛けた電話で久しぶりに話をした妻を思っていた。  日本を出てもう3週間近く、一度アメリカへ着いた時に電話を入れたが、いつも話すことは代わり映えしない。 「元気か、変わりないか」  と聞く弘明に、 「元気よ、ちゃんと食事している

          第5話 「走る稲妻」

          第4話 「ビートルズの故郷」

          「おい、秘書が迎えに来るって――」  9月25日火曜日午前9時半、A&B本社の1階ロビーに立つ弘明に、受付で来意を告げた古賀は興奮気味にそう言った。古賀にしては珍しく緊張した面持ちで、視線を浮かしたまま更に言葉を継いだ。 「俺はここへ何度も来たが、お迎えなんて初めてや」  と呟きながら、エレベーターホールを見やっていた。  19世紀初めに設立された英国最大の船会社A&Bは、明治時代に日本への定期船を就航させ、以来今日まで社船のコンテナ船や客船が欧州とアジアを結んでいる。

          第4話 「ビートルズの故郷」

          第3話 「モノトーンの街」

           昭和59年9月23日日曜日、弘明は芙蓉貿易ロンドン支店の古賀に出迎えられ、言われるまま車に乗った。  古賀は弘明よりニ三歳年長で、2年前まで神戸にいたらしい。なにしろ二百名を超える支社だけに初対面だったが、他人行儀な男ではなく何事もざっくばらんだった。 「前野からなんか言ってきたが、いったい何やったんや」  日本の中古車を運転しながら、そう言う古賀は朗らかで、どこか兄貴の様な接し方に弘明はほっとしていた。 「どうも……すみません」 「あほか、俺に謝ってどうする。お前が

          第3話 「モノトーンの街」

          第2話 「ロンドン」

           ニューヨークからロンドンまでは7時間ほど掛かる。JFKを飛び立ったあと揺れが酷く、それでなくとも狭い3人掛けの中央の席で弘明は、汗に濡れたシャツが渇く間もなく、低すぎる機内の空調に震えていた。  両側の肘掛はそれぞれ隣の客に占拠され、仕方なく重いバックを胸に抱いたまま、目を閉じて耐えていた。だがいくら眠ろうとしても、セングプタに乞われて訪ねた会社の面談が忘れられず、熱に魘される様に心が騒いだ。  弘明が訪ねた会社は、セントラルパーク近くの高層ビルに入っていた。なにしろセ

          第2話 「ロンドン」

          第1話 「ニューヨーク」

           昭和59年9月22日土曜日、山岡弘明はNYのJFケネディー空港にいた。ロンドン行きのチェックインカウンター前に並び、その最後尾で苛立っていたのだった。  出張の予定は、アメリカ西海岸から東海岸を経てイギリス・オランダ・ノルウェー、そしてデンマークのコペンハーゲンに寄って大阪に帰る、約1ヶ月の行程だった。  弘明が勤めていた富双造船は入社後2年で倒産し、更生法下で再建中だったが5年で破綻。故郷で妻子と幸福な生活を送るはずが、三十歳にして路頭に迷うことになった。  実家で

          第1話 「ニューヨーク」

          ひろく愛して、互いの福利を増進する

          ここのところ、昨年1月に亡くなった半藤一利氏の本を読み漁ろうと、読書を始めた。今読んでいるのは、「墨子よみがえる(平凡社)」である。 ……人類は皆平等に愛し合い、差別することなく認め合い、お互いの利益の為に汗水流して尽くし合いすれば、この世から愚かな戦争はなくなる…… かの文豪レフ・トルストイ曰く、「世の人々は墨子の言葉に従わなかった。その後にキリストが世に現れ、墨子の教え説いたと同じことを、ただ墨子よりも一層よく、力強く、分かりやすく教え説いた」と、言っているらしい。

          ひろく愛して、互いの福利を増進する