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前日談

この紫陽花は少し前、散髪帰りに寄った骨董品店で見惚れた子。

その日はそこで買い物をするつもりは特になかった。
ただこの御店の店主が、時々気紛れに外国から古びた雑貨を輸入する事があったので、少し来ていない間に、品物の景色も変わっているのではないかと気になって、少々立て付けの悪い硝子戸を引いてみただけだったのだけれど、御店の奥に佇む、硝子の小瓶や西洋の陶磁器が等間隔で整列している木棚の上にある、錻の馬穴に、この紫陽花が最初か最後かの一輪だけ残っているのが目に止まって、軽い催眠でもかけられたように、気付けば僕はそれに手を伸ばしてしまっていた。

指が葉に触れた時、かさ、と乾いた音がした。
手に持ってみるとそれなりの質量がある。
記憶の中の生花と比べると、それは全体的に色が褪せており、縹の一色かと思いきや、茎の部分を指で摘んで眺め回してみると、縹色の中に青磁色と竜胆色が混じっているのが分かって、マスクの下で秘かに頬が緩む。
それは乾ききっていながらも物憂げで美しかった。
珍しいな。古美術が好きな親友に教わって、学生の頃から時々立ち寄っている骨董品店だけれど、窓際に置いてある、種類毎に麻紐で束ねられている鮮彩な造花たちの中に、これまで紫陽花を見掛けた事は一度もなかった。僕は花の中でも青い紫陽花が特別に好きだったから、うっかり見落とす筈もない。それに、そもそも
「これ、造花ですか?」
と、振り返って、レジでロール紙を補充している店主の耳に届く程度の声量でそう尋ねた。
この店の主は花好きで、特に造花には相当凝っているらしく、店内に置いてある花は、売り物から備品まで、殆どが造花だと以前聞いた事があった。
しかしながらこの紫陽花、造花にしては、葉脈や花の付き方が繊細すぎやしないだろうか。それに装飾花と呼ばれる花弁のような'がく'も、一枚一枚が鱗のように均一で、ポリエステルやポリエチレン特有の綻びひとつ見当たらなかった。

その時店内には僕と店主の二人しか居なかったから、僕の声に気づいた店主は、機械から一度手を離して、革靴のこつこつとした小気味良い音を鳴らしながら、直ぐに店の奥の方まで来てくれた。
そうして、僕の手の中にある紫陽花を見ると事情を察したようで、秘密事でも打ち明けるようにこう言った。
「あぁこれ。ううん。これはねドライフラワー」
「やっぱり、ドライフラワー…」
「そう。うちで作っていたのをひとつ持ってきてね」
どうやら花好き店主のお手製品だったらしい。どおりで。
気に入った?と聞かれたので店主の方を向いて頷く。咲き果たしたその花は、眺めれば眺めるほど淑やかで、憂いの香る一品だった。これを自宅の和室にある、同じくこの御店で仕入れた青みがかった丸型の硝子瓶に生けたら、そしてそれを黒茶の薬箪笥の隣へ置いたら、その足下に蛍石や水晶を散らばせたら、、と想像が目一杯に発酵する。
まちがいない。

「この子をお願いします」
と店主に手渡すと、店主は一度愛おしそうにそれを見た後、「持ってきてよかったです」と微笑んだ。此方こそ出会えて嬉しいです。と思いながら、こつこつという靴音に続いた。そして次に、あの紫陽花のことを早く持ち帰って、母にも見せてあげたくなった。母は、昨今やたら紫陽花にこだわる僕に影響されたらしく、出先で紫陽花を見つける度に、僕と同様に写真を撮って送ってくるようになった。紫陽花や霞草といった、小さな星屑の集まりのような花が可愛らしくて特に好きなんだと。幼少期に家で生花を見た記憶は殆どないので、母に花を愛でる趣味があったというのを知ったのもつい最近のことだ。
これはきっと母も気に入るだろう。店主の手で丁寧に丁寧に施されている花を見ながらそう思う。台所に飾ってある、造り物の綿花の傍に置くのもいいかもしれない。

このようにやや浮き足立つほどの一目惚れだったので、店主に「では六〇〇円になります」と言われた時、御財布の中で千円札を数えていたはずの指が刹那に彷徨った。
長らく花は遠くから自然に咲いたものを見つめるばかりだったので、花の相場には未だに驚かされる。本心である「それっぽっち」という言葉は、花にも店主にも不躾な気がしたのでなんとか飲み込んで、丁度六〇〇円を手渡しながら、かわりに今日此処に立ち寄った自分の運のよさを喜ぶことにした。


─────

台所にて



去年の梅雨、幼馴染の家の庭で咲き誇っていた紫陽花を少しいただいて、口の広い花瓶で数日生けた後(上の写真)、自分でもドライフラワーにしてみようと試みたことがあったのだけれど、予備知識がなかったせいか、単に僕の不器用が災いだったのかは定かではないが、花は縮んで煤けた金平糖のようになってしまうし、鮮やかな浅縹色は焦茶一色に染まってしまう有り様で、これはこれで味か、とも思いきれず、母と静かに落ち込んだ後、そっと手のひらに乗せて家塀の上に奉った記憶がある。(決してなかったことにはしていない。)

「無知なんだなぁ」
それは、紫陽花の茎を斜めに切った後、切口に慣れた手つきで濡れたティッシュとアルミホイルを巻く幼馴染を見ながらも思ったことだった。
そうか。御世話が必要なんだ、と度々思い知る。
開花時期や花言葉にばかりやたら詳しくなったとて、触れ合えないのだったらやっぱり切ない。
これまで頑なに鑑賞に徹していたせいか、親しくなりたいという思いとは裏腹に、花や動物に触れる僕の手つきは、悲しいほどに臆病で不器用なものだった。儚くて脆い存在という先入観が、千年樹のごとく根を張っているのだろう。好きだけどそれ以上に苦手だった。言葉を話してくれたらいいのにと思うのは、怠慢かもしれない。そんな僕を動物たちは攻撃力のない生き物として判断するのか。じっと見つめても威嚇されないことだけは救いだったが。
だからこそ、骨董品店で見た紫陽花が造花か生花か、僕は直ぐに判別できなかったのだ。
自宅でちりじりになってしまった紫陽花とは打って変わって、それは随分と季節が経った今でも、造り物と見紛うほどに、花の鮮やかさや御萩のような丸みを保っていたのだから。
…やっぱり自分には六〇〇円の苦労とは到底思えないな。

次の梅雨が来る日まで、この子を愛でて待っていよう。そして次は店主に助言をいただこう。
袋にやんわりと入れてもらった紫陽花が、何らかの衝撃で打ち砕けてしまわないように、風船を扱うように店を出た。曇天の中で見る紫陽花は、薄暗い店内で見た時よりもずっと鮮やかな青色をしていた。
今日が風のない日でよかった。
風に吹かれたら直ぐに攫われてしまいそうなほど、花は軽かったから。改めて死んでいる花なんだなと思う。
僕が歩けばその振動で、袋と乾いた花が擦れてかさついた音が鳴った。信号を待っている間、隣に並んだロードバイクに跨った学生に、うっかり「この袋の中に実は紫陽花が入ってるんです」なんて喋り出さないか不安だった。
ふと屋台で祖母に紙風船を買って貰った幼少期のことを思い出した。花火が打ち上がるまでの待ち時間、河川敷で手のひらにそっと乗せて遊んだ昔ながらの紙風船。あの時と似た感触と喜びを、僕はこの日手の中で感じていた。きっとどちらも豊かな買い物にちがいない。
折角だから、家に帰ったら写真も撮ろう。鮮やかさや繊細さが伝わるような写真を。僕の撮る紫陽花の写真を好きだと言ってくれる人にも、もちろんこの紫陽花を見せたいし、梅雨に撮った生花の紫陽花とも見比べてもみたい。

これで一年中紫陽花が楽しめる、なんて思惑が的外れだったことに気付かされるのは、それから数日が経ってからのことだ。

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