『手のひらの上で踊る』
「全ての責任は監督が取るものだ」同世代の監督から、とても大切なことを教えられました。信頼するスタッフの仕事に対して結果の善し悪しに関わらず全て監督である自分が責任をとる。それ以降はそういう思いで作品に向き合うことにしました。責任を取るためには自分の耳や目といった感覚を磨くことが大切です。色々なセクションの仕事が解らなければ、いざというときに納得して責任を取ることはできません。そう感じてシナリオや音響にも仕事を広げていきましたが、その後も数多くの失敗とアクシデントを経験することになります。
編集さんの計算ミスから本編尺が一分不足した事もありました。再編集は無理な状況です。プロデューサーは編集の担当者に責任を取らせて降板させようとしましたが「責任は監督にあります」とボクは拒否しました。その時はメーカーPが奔走して下さって、一分のCM枠を負担してくれたことで乗り切ることができました。
プロデューサーという仕事は多くのスタッフを集め、調整して作品を作り上げる責任を負っています。監督にとって一番身近で、もっとも信頼しなければいけない相手がプロデューサーです。ところが『納品責任』という大きな責任を背負っている彼らは調整という大義名分の元に、時に相手によって言葉を選んだり、まったく真逆のことを言ったりする事があります。
ビデオ作品を監督した時、デスクに連れられレコード会社のプロデューサーと初顔合わせの席のこと。その場でヒロインのキャストの話題になりました。スタジオのプロデューサーから「ヒロインのキャストは〇〇レコードの〇〇Pの強い希望でこの子にするから」と告げられしぶしぶ承諾したばかりなのに、ヒロインを強く推したくせに目の前の相手はまるで他人事のようなそぶり。「あんたが推したキャストじゃないのか!」思わず叫んでいました。「なんで監督を連れて行ったんだ!?」帰るとスタジオPがデスクを責めます。何のことはない話で、スタジオのプロデューサーがお気に入りの声優さんをヒロインにするために真実をゆがめたという落ちです。
こういうこともありました。ある作品の編集を『ラストエグザイル』の肥田文さんにお願いして内諾を得てしばらくしたある日「その仕事は自信が無い」そう本人から断られたとプロデューサーが伝えてきました。とても残念でしたが、やむを得ず別の方を探すことになりました。運良く、数多くの映画にも関わられた瀬山武司さんに編集をお願いすることができました。瀬山さんとは、安彦良和監督『ヴィナス戦記』古橋一浩監督『るろうに剣心』で仕事をご一緒したことがあって、当時演出になって間もないボクをいつも助けてくれたことを覚えていました。この作品ではテレビ局のプロデューサーとのコミュニケーションが最後まで上手くいかなかったこともあって、宮崎駿監督の数多い作品の編集も担った瀬山武司さんという名前と存在感はその後監督のボクと作品を救ってくれることになります。そのプロデューサーは映画にはとても詳しい方でしたので『ファーストカット』を理解して実績のある瀬山さんを尊重してくれたのかもしれません。おかげで編集に対しては必要以上に干渉することはありませんでした。
それからしばらくして肥田さんと話す機会がありました。「その件は自分からは断っていない」あまりの話の食い違いにビックリです。肥田さん本人の確認を怠ったボクの責任で、とてもいやな思いをさせてしまいました。プロデューサーは言葉を使い分ける。それは相手が監督であっても変わりないようです。
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