「ぼちぼち」


やらなきゃいけないことを目の前にすると別のモノに逃げたくなるのは人のさがなのか、私も眼前のタスクから逃げるように、今このnoteを書いている。
定期テスト1週間前にやる部屋の掃除がとても捗るのと似ている。
歴史は韻を踏むとはよく言ったものだ。


ところで、定期テストといえば学校行事の1つであり、多くの人たちにとって楽しいものではなかったというが共通認識コンセンサスであろう。
テスト勉強をだらだら開始し、直前に詰め込みテスト当日を迎え、やっとこさ "finish" というか "the end" するのだが、親から「テストどうだった?」と聞かれるまでが定期テストというものだ。


そこで、この「テストどうだった?」という質問の返し方に少し困っていた時期もあった。


「出来は良かった」と答えて結果が芳しくなければ「良かったって言ってたじゃん!」と小言を言われ、
保険をかけて「出来が悪かった」と答えれば、その場でムッとした表情にあてられて、たちまち居所が悪くなる。

だったらちゃんと勉強しておけよというのは至極まっとうな意見だが、私はそんな殊勝な生徒ではなかったのだ。自慢ではないが。)


しかしいつからだろうか、この小難しい質問に対する返答として汎用的な一言ワイルドカードを自分は見つけていた。それがタイトルにある「ぼちぼち」である。手ごたえ・実際の出来がどうであろうと、「ぼちぼち」と言ってのらりくらり躱していた。


親「テストどうだった?」
私「ん-、ぼちぼち」
親「ぼちぼちってどのくらいよ」
私「いやーまあぼちぼちって感じだね」


……なんだこのクソガキ。
書き起こしてみて初めてわかったのだが、言われる側からすれば結構イライラするな。しかしこれ以上追及して聞いても無駄だと思ってしまう。なるほど、こういう点が功を奏したのか。いやはや、昔の自分、少しはやるじゃないか。

かくして、私は中学・高校生活の定期テスト後の「テストどうだった?」には「ぼちぼち」と返して駆け抜けたわけだ。


余談ではあるが、私は高校卒業後、浪人した。
みんなはちゃんと勉強しよう。




話がかなり変わるが、人間にとってうれしい瞬間ってなんだろうか。たくさんある中で一つ、自分の言動や姿が下の世代に継承されたとき、というは自分の存在は誰かにとって無駄ではなかったと思えて嬉しいことこの上ない。


私には従兄弟がいる。とてもかわいい。昔から自分を慕ってくれている。とてもかわいい。お前らと違って。
昔は小さかった従兄弟もすくすく大きくなっていて、あっという間にもう大学生だ。


ある時、私の母は妹(つまり私の叔母)に用事があって従兄弟家に赴いたことがあった。そして、ちょうど定期テストを終えた従兄弟が帰宅したタイミングで、例の会話「テストどうだった?」が発生したそうだ。

あろうことか、従兄弟はこう返したそうだ。
「ぼちぼち」と。

全く覚えていないのだが、私がそう言えと教えたらしい。全く覚えていないのだが。ロクなこと教えてねえなこいつ
まあなんだ、こんなしょうもないことでも真似されて受け継がれるのは嬉しいものである。


余談ではあるが、従兄弟も高校卒業後、浪人した

みんなはちゃんと勉強しよう。

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