音躍る //20220116四行小説

 初めて来たホールは私にとっては大きかったけれど、どちらかと言えば小さい方らしい。ここは家から近い市民ホールだから、都会の方に行けばもっと大きなホールがあるのだろう。
「ライブがあるんだけど、どう?」
 半月前程にそう聞いたのは、ピアノ教室で一つ前の時間枠で習っている二歳年上の兄のように慕う人だった。ピアノと打楽器の二人でしているアーティストのライブらしい。
 母親に言うと、ピアノのライブだったからか意外にもすんなりと快諾され、その日のうちにチケットを取ってもらった。
 客席に座るとピアノ椅子よりも柔らかい感触だった。あと数分もすれば始まることもあり、席はほとんど埋まっていた。
 暗闇にスポットライトが当たり、ピアノとカホンが現れる。奏者が鍵盤を弾き始めた。その二人の演奏は、私のイメージしていたコンクールみたいな厳かな雰囲気とは全く違ったものだった。
 音がころころ弾み、くるくる躍り、静かなときはしとやかに水のように流れていく。打楽器と噛み合って、自分の手拍子とも噛み合って、たくさんの音が一つの音楽になっていく。こんなの楽しい。楽しすぎる。音楽はこんなにも自由だったのか。
 演奏者も楽しそうなのが印象的だった。前のめりになり鍵盤を指で歌う。どうすればもっと楽しくなるかを無邪気に考えてそれを毎秒試しているような好奇心旺盛さを感じる。頭に思い描いた試みは、即座に指に伝わり鍵盤を弾いていく。
 私が今まで弾いていたのはなんだったのだろう。親に言われるがままに通い、怒られて渋々練習し、嫌々ピアノ教室までの道を歩く。バイエルの入ったカバンは重くて、公園で遊んでいるクラスメイトが羨ましかった。止めたいと何度思ったか分からない。
 それでも今までやってきたのは、止めたいと口には出さなかったのにはなぜだったのだろう。
 舞台上の二人はを音楽をするということが、ただそれだけで楽しいことなのだということを思い出させてくれた。出来ない譜面が弾けるようになったこと、自分の思った通りの表現が出来たこと。それが何よりも楽しくて、今まで続けてきたのだと言うことを思い出させてくれた。
 ピアノを弾くということは、ただそれだけで楽しいはずなのだ。忘れそうになっていた。
 ピアノが弾きたい。
 思うがままに、自由にピアノを弾いてみたい。
「すごく楽しかった! 誘ってくれてありがとう」
 ライブが終わりそう言うと「よかった」と隣の席にいた誘ってくれた人は短く言った。その表情にはライブの熱が残っていた。きっと、同じことを感じたのだろう。きっと、私達は今日のことを忘れない。

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