甘いリンゴ //20220113四行小説

 リンゴの匂いがする……鼻をくすぐるような匂いに頭をもたげると、リズムのいい包丁の音が聞こえた。今にも閉じそうな目をなんとか開けて、台所へ行くと少女が剥いたリンゴを切っているところだった。俺の腰辺りまでしかない身長は、少女専用の台に乗って今は胸くらいの高さになっている。
 小さな手にはその包丁は大きすぎるのだが、意外にも安定感があって心配なく見ていられた。くるくると一度も切れずに円を描いた皮もまな板の上にある。器用なものだ。幼いながらに慣れたその手付きは、少女が何か特異な才能を持っている訳ではなく単にいつも使っているからという、至極普通の理由だった。
「やっと起きた」
 振り向いた少女は口を尖らせながら言う。どこか不服そうだ。俺が寝てしまったから、暇を持て余していたのだろう。
「テスト期間中はいつも眠いんだよ」
「遅くまで起きてるからじゃない?」
「お前基準の遅い時間って何時よ?」
「九時」
「お子様め」
「あれ? じゃあ早く寝たの?」
「二時に寝た」
「遅いじゃん!」
「だから今まで寝てたんだよ。リンゴありがとう」
 屈んで少女の前に口を開けると、一口大の大きさにリンゴを切って口の中に放り込んでくれた。好みの固さの甘いリンゴだ。噛んだらシャクシャクと良い音がする。少女も同じように口に入れ、甘さを噛み締めながら嬉しそうに顔を綻ばせた。
「明日もテスト?」
「うん、テスト。けどお前暇だろ? 安心しな、今から遊んでやる」
「いや、いいよ。そんなことしたらまた二時に寝ることになるよ」
「子どもが遠慮するなよ……俺だって遊びたいんだよ」
「仕方ないなぁ。じゃあ遊んであげよう」
「やったぁ」
 立場が逆になった気がするが、そんなことは気にしないでリンゴを食べきり遊ぶことにする。カーペットの上に胡座をかくと、当然のように少女は俺の膝に腰掛ける。少女を腕で作った円に入れるようにして、ゲームのコントローラーを持った。
 自然に甘えてくれることが嬉しくて、ここにいてもいいことを優しく肯定してくれることが暖かくて、少女の頭に額を置く。「んー?」と声は出すものの嫌がりはしない。甘えて甘え返して、受け入れられることに落ち着いて息を吐く。
 「このキャラにする」と君が言うから、俺は画面に向き直り「任せろ、負かしてやる」と、大人気なく遊ぶことにする。

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