椿の埋葬は雪の中 //20220114四行小説

 椿の首が落ちた。水面に落ちれば波紋となって余韻も残るのに、落ちた場所は白雪の上で衝撃も音も温度も吸収して何にも影響もしなかった。その内に吹雪いた雪が降り積もり、色さえも奪っていく。
 存在はどこに残るのだろう。春になり雪と共に花びらは溶けて微生物に分解されて消え去って、受粉もせずに散ったなら残った木に何か実ることもない。
 冷たい冬には虫もいない。陰で咲いていたから人目にもほとんど触れていない。きっと私しかその存在を知らなかった。私も落ちた瞬間に目の端に写ったから、辛うじて知れたのだ。人知れず花は死ぬ。
 傘を傾けると、降る雪が陰を纏って虫みたいに私の上に降り注ぐ。これが全て雪虫ならば花に気付くものもいただろうに、ただの雪なら最後には太陽に焼かれて蒸発していくだけ。
 雪を踏む微かな音が近付いてきた。
「今日も人知れず花は死んだわ」
 待ち合わせに遅れてきたその人に言うと、「そう」と短く相槌を打った。無感動な響きに、どこかやるせなさが募る。
「遅れてごめんね」
「いつも遅れてくる癖に白々しい」
「手は合わせた?」
「え?」
「手は合わせた?」
 それが「花が死んだ」という私の言葉に対する返答なのだと気付くのに少しばかり時間を要した。自分から話を振っておきながら、会話が続くことを全く想定していなかった。
「……合わせてない」
「では丁重に弔おうじゃないか」
 私はしゃがみ、足許の花に手を合わせた。しばらく目を瞑り、雲から足許に雪が落ちるまでの時間くらい経ってから目を開ける。そこには雪に埋もれつつある椿がある。
「この椿は幸福だろうね」
「存在は残らず忘れられるのに?」
「どんなものでも最後には何も残らないものだよ。ただ椿は奇跡的に君という人に看取られたから、君の脳にしばし咲き続けることになるだろう。それを幸福と呼ばずになんと呼ぶ?」
 朗々とその人は言い、同じように私の隣にしゃがんだ。
「人の墓には花を添えるが、花の墓には何を添えればいいんだろうね? 同じく花? それとも逆に生物? 栄養になるものならば、水か? 難しいものだ」
「涙の一粒でも流せれば良かったかな」
「女優でもない君にそんなのは無理だろう。本気じゃない涙に価値もないし」
 私の頬から何かをつまみ、椿の側にはらりと落とす。小さな黒い線が、雪の上に引かれた。睫毛だった。
「君が魚なら鱗を一枚剥いでいたかもしれないね」
「貝なら真珠?」
「蝶なら後翅。そろそろ行こうか。開演の時間に間に合わなくなってしまうからね」
「誰かが遅れた来たせいで余裕がないしね」
 いつかの涙の味を覚えた睫毛と椿の死体を残して私たちは行く。脳の中に椿は咲く。枯れない花になっていく。

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