結婚後のドタバタ

新生活の決め事を生活しながら決めていった私達。

結婚式の翌日にディズニーランドに行って帰って来たのが旦那の実家だ。
その翌朝、義両親、2人の義弟に「よろしくお願いします」と言って同居生活が始まる。
今、思えば必要以上に気を遣っていた。

義父は、義母との関係を心配していて同居を基本的に反対していた。義母は、自分中心で世間知らず、人の気持ちを考えない人だった。

旦那は、家賃がかからないから同居したほうが生活がラクだと考えてた。
私の性格だと義母とうまくやっていけるだろうとも思っていた。

家を建てる計画があったのだ。
義母と旦那は2世帯住宅を希望していたが義父の意見、農地転用の関係でボツになった。義父には、感謝している。

また、家業を蹴飛ばした旦那に対して義母は面白くなかったのだ。

何となくギクシャクした空気の中で仕事も辞めて家庭に入らなければならない。

ひとつ屋根の下に主婦が2人。必然的に役割が決まっていった。
私は、食事担当。それはそれでよかったけど、掃除好きな義母は台所の使い方には拘りがあり、シンクの水を拭き取ることまで真似しなければならなかった。
油汚れが全く無いガスコンロ、使っている鍋も35年使っていると言うがピカピカ。プレッシャーでしかない。
料理という料理をしない義母でしたが・・・

ある日、疲れていた私に旦那がこう言った。
「頑張ってね。お手伝いさん。」
耳を疑ったのと同時にショックだった。返す言葉がなかった。

また、別の日に旦那と義弟、義弟の友達の会話が聞こえてきた。
「結婚生活ってどう?楽しい?」と言う質問に対して旦那がこう言った。
「いいぞー。ただでやりたい放題だぞー。家でやれるしな。」
そんなこと言って欲しくなかった・・・

私は、義弟、義弟の友達とは、よく話はしていた。
その後、何事もなかったかのように接していたが、旦那の発言には、ショックを通り越して呆れた。

裏表なく正直なのは知っていたけど、それとこれとでは問題が違う。

この2つの発言が旦那に対する不信感に繋がってしまった。


その後、妊娠していたことが判明する。

もちろん、みんなが喜んでくれた。が、つわりが酷くて寝たり起きたりの日々が続いた。
出産が軽く、つわりがなかった義母に毎日、妊娠は病気じゃない、出産の前の日まで薪割りやってたなどいわれた。
その様子を見ていた義父。旦那も気遣ってくれた。

そして、義母の気遣いの無さ、行動で親子喧嘩に発展してしまう。
売り言葉に買い言葉

私は、選択を迫られた。

新婚旅行と引っ越し・・・どっちにする?

迷わず引っ越し!と答えた。

私達の新婚旅行は、ディズニーランドということになる。

それで良かった。

4ヶ月ちょっとの同居生活を終わらせアパートに引っ越す。
その日につわりがおさまった。

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