ふたつめの命日
ホントの命日は、令和4年1月8日。
ふたつめの命日は、ご遺族が代理ツイートしてお空に逝ってしまったことを知らせてくれた日。
そう、令和4年2月18日
あれから1年…
代理ツイートがあった朝は、雪が降っていた。
あの日の雪は、忘れない。
そしてあの日からの数日のことも忘れない。
もちろん、これまでに交わした言葉も何もかも忘れることはない。
職場で仕事をしている時に時々こっそりTwitterを開くことがある。
偶然にも通知を発見。
しばらくツイートが無かったので、直ぐに開いてみた。
えっ……?
覚悟はしていたけど…
悲しすぎる報告だった。
あまりにも悲しくて、全身の力が抜けて、胸の奥が締め付けられて、身体が震えた。
動揺した、涙が止まらない…
こんな気持ちになるのは、はじめてだった。
言葉を見つけるのが精一杯で、ありったけの感謝と心からのお悔やみを伝えたくてリプを打った。
個人的感情が出ないよう、公の場でのやり取りは私には難しかった。
私なりの気丈で文字を打った。
その日は、身体を使った仕事に没頭した。
ディスクワークなんて出来なかった。
身内が亡くなった時よりもずっと深い悲しみと後悔の念…
大好きな人をなくすとこんな気持ちになるんだ…
精一杯のことをしていても後悔するもんだ。
本当に最後になってしまうのなら
逢いたかった。
自分の死を覚悟してる彼は、私には気丈に振る舞い、時には、わがままを言ったり、取り乱すこともあった。
私の反応を見ていたのか?
それは、私にとってはとても嬉しいことであり、その気丈な態度に合わせて、お互いにエールを贈っていた。
きっと私が泣かないように強がった。
私は、わからないふりをした。
彼の病気…察しがついていた。
覚悟していながらも恐ろしい現実…
こんなに早く逝ってしまうなんて…
この終わり方は、彼の美学なのだろう
ツイートの裏でDMを送った。
相手は彼の妹さん。
言葉の使い方、物腰の柔らかさは彼と良く似ていて兄妹だなぁって思った。
お互いに感謝の言葉を交わし、彼の最期を教えてくださった。
私と彼とでのDMのやり取りに妹さんは、驚いただろう…
彼が私と連絡を断った時、TwitterをシャットダウンしDMの既読表示が消えていた。
他の人も送信済みの表記しかなかったという。
それが、ある日既読になったのだ。
どうしてなのか?彼は生存しているのかもしれないというほのかな期待をしていたけど、妹さんがTwitterを開いてDMを確認していたようだった。
バレンタインデーにチョコの写真を送ってDMが既読になった。『生きてる!』って思った。
でも、違った。
妹さんが設定をいじったことによって、開いたDMが既読になっていたのだ。
私の誠意が伝わったのか、何度もやり取りをさせて貰った。
本当に嬉しかった。
遺言のメモを見せて頂いた。
彼なりの美学。
優しさと気遣いと真面目さ。
後に残された人が困らないように、身辺整理をしていたのだった。
彼らしいなぁって思った。
生前『身辺整理をしています』と聞いていた。
連絡を断つ数日前のこと。
私の誕生日だった。
私は『覚悟したんだね』って返信した。
他に言葉が出て来なかったから…
『死ぬ前に…』って言葉が彼からとびだした。
その言葉に対して動揺していることを隠すように私は返信した。
もうただ事ではないと心が落ち着かなかったことを覚えてる。
自分の身体が動く限り、やれることをやっておく。
去り際を自ら作らずに
『あっちの世界に行ったら…』って妹さんに託してた。
切ない…
でも、彼だなって思った。
Twitterを閉じて欲しいという遺言。
兄の意思でという報告もあったのだが、その日が予定よりも早まった。
何故か…
酷いDMを送って来た人がいると相談を受けた。
”亡くなったのは嘘だ“
とか
”作り話だ“
とか
そんな中傷する内容が送られてきたそうだ。
その時に私のもとに送られてきた彼のメモの写真。
こんな大事なものを…
私に託してきた。
『どんな発信の仕方をするかお任せします』と…
公開するなんてとんでもない。
悲しみにくれる親族に対して、そんなDMを送ってくる人が許せなく、今でも憤りを感じている。
そして、とうとう耐えきれずに相談中にTwitterが削除され、数日後には彼のツイートを見ることが出来なくなった。
削除する直前に
『これ以上こんなメッセージを受け取るのは辛いし悔しいし悲しいです。申し訳ありません削除します。○○様のご多幸をお祈りいたします。ありがとうございました』とメッセージが届いた。
私は、スパムの通報をするようにメッセージを打っていたところで送信直前に削除となった。
だけど、その後、不思議なことが起きていた。
削除されてから彼のプロフをしばらく見ることが出来ていた。
何人かの共通のフォロワーさんに聞いてみたけど、削除されてから見ることが出来ないと聞いていた。
半年は、アカウントが残ると聞いていたけど、それ以上に見ることが出来ていて、きっとそばに居てくれてるんだって思っていた。
私みたいに見れてる人いたのかな?
他にもそんな人居たかもしれないけど…
彼のことをツイートする人は、その後なくなった。
知らないところで誰かが呟いてるかもしれないけど…
今でも私は守ってもらってると思ってる。
最近、読んだ本に書いてあった。
故人を思い出すことが大切。姿が見えなくても感謝の気持ちを持っていれば、そばに居てくれる。
そう書いてあった。
私は、毎日忘れることがなく、これでいいのか?と思う時もあった。
だけど、感謝の気持ちを持ち続けることって大事なのだと切に思う。
いろんなことを思い出させてくれる。
いろんな偶然にも出逢った。
不思議なことが今も起きていて、思い続けるって大事。いや、忘れられないだけなのかも知れない。
それでも、自分の中に居てくれるのだから、そのままでいいし居て欲しい。
逢いたいなぁ
でも、怖い
文字を打ってるうちに切なくなってきた。
きっと、こんな出逢い方をしてこの結末だったと決まっていた。
思い出の場所に時々行く。
通った道をなぞってみる。
貰った写真を眺めてみる。
好きな音楽を真似して聴いてみる。
彼からのメッセージを繰り返し読む。
色んな感じ方して胸をいっぱいに膨らませたい。
寂しいけど寂しくないって強がって
私は生きる
出逢ってくれてありがとう❤️
きっとずっと永遠だからね。
ふたつめの命日に合掌
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