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希望は崩壊をはらむ自然の営みと人類の性善説にあり~『1984』書評④
10:富の独占と教育不均衡がもたらす権力保持
『1984』における唯一の救いはプロ―ルの存在だ。ウィンストンはたびたびその下層階級の人たちこそ最後の希望だと絶賛する。
人類の歴史は常に上中下の階層を持ち、上と中だけが入れ替わり下層階級は不変という循環構造を持つ。そう指摘する本書では、プロ―ルがいつか目覚め、この循環を断ち切るという希望が訴えられている。
だが、私はそこに希望は感じない。
未来国家のオセアニアでは、作ろうと思えば作れるのにわざと楽園を作ろうとしない施策が貫かれている。それもまた現状維持のためだ。
富を分配し貧困層に余暇を与えれば、教育レベルが上がり知恵をつけて権力のごう慢に気づく恐れがある。そのために彼らを常に困窮状態にしておく。権力保持のために富の独占と教育不均衡は必須なのだ。
11:次世代の下層階級に希望をたくす空しさ
ビッグブラザー党のこの態度は、充分に実現可能なのにベーシックインカムを未だに渋り続ける現代の先進諸国に重なる。
制度が変わらない限り、貧困層は決して目覚めはしない。
アフリカのサバンナに棲みついた動物たちが何百年何千年と変化しないように、プロ―ルたちも生活苦の中では何も変わらないのだ。
現在、最も明確に表れる日本のプロ―ルは総選挙でも投票に行かない50%ほどの無関心層だと言える。ベーシックインカムが実現しない限り、彼らに知恵はつかず政権交代も果たすことはできないだろう。
だからこそ、私にはプロ―ルに希望があるというウィンストンの訴えが響かなかった。次世代に希望を託すという彼の態度も同様だ。
一見それは純真で美しいが、未来という見えないものへの神秘化も多分にふくんでいる。今目の前にある悪しき制度を変える意思がない限り、未来は1ミリも動かない。
12:権威主義の永続化を止める最後の希望
『1984』は絶望と希望の両方を与えるが、そこに止まれば読者もビッグブラザーが用いる二重思考の罠に陥って現状維持に飲み込まれるだろう。そこで私は希望を選びたい。本書の著者オーウェルにならって答えを明確にすれば
私の希望は自然が有する崩壊の運命にある。
現代の気候危機やパンデミックもその一部だ。
『1984』の未来に決定的に欠けていた大きなビジョンは環境破壊である。どんな独裁国家・権威主義国家も地球の上にあり、長期的な自然災害を受ければ内部崩壊は避けられない。
安倍政権の長期的な権威主義体制を終わらせたものは首相個人にふりかかった病だった。このように自然は必ず崩壊をはらみ、人も国家もその運命の元にある。
気候危機やパンデミックは今、目の前の現実として規模を増し、社会を根底から変えようとしている。終わりは次世代ではなく、すぐにでもやってくるかもしれない。
政治家がどのように制度を改悪しようが、たとえ選挙自体をなくしたとしてでも、自然が有する崩壊のプロセスを避けることはできない。
そして私は人類の性善説を信じたい。
自然災害で多くの国が生死を争う危機に陥ったとしてでも、多くの人は精神性、尊厳、高潔さを保ち、世の中を良き方向に導くことを信じたい。
私の希望の根源には性善説がある。次はそこをテーマにしたルトガー・ブレグマン『Human Kind』を読んで、私の中の希望をいっそう育みたい。■2.04:北京オリンピックの開会式直前に
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