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備忘録。17

  最近、数ヶ月ぶりに京都アバンティ(京都駅の南にある商業施設)を訪れた。書店が閉店したことは知っていたが、書店のフロアを全部ぶち抜いてアニメイトとイベントスペースのコーナーにしているとは思わなかった。変わりつつある京都の街である。


1.佐藤雫『言の葉は、残りて』(集英社)

 まず、本作は表紙が美しい。花が咲き誇る幻想的な風景の中に佇む1人の黒髪の女性。裏表紙には彼女とは別の方向を向き、海の方に向かおうとする1人の男性。帯を確認すると、「若き三代将軍・源実朝のもとに、摂関家の姫・信子が嫁いでくる。」とある。つまり、表紙の女性と男性は信子と実朝ということだ。この時点で、私は本作を読みたいと思った。というのも、私は未だ冷めやらぬ『鎌倉殿の13人』に対する熱をつい最近旅行という形で実行に移したばかりであり、鎌倉のことをもっと知りたいと思っていたからである。また、私は実朝の「世の中は…」という和歌が好きだ。漁師の日常をそのままの心で詠んだ実朝という歌人に強く惹かれていた側面もある。そうした理由もあり、私は本作を読むことにした。
 本作の表紙は美しい。また同じことを書くようで恐縮ではあるが、これには理由がある。ご存知の通り、実朝は兄・頼家の子・公暁に暗殺される運命にある。そのため、本作が表紙の実朝と信子の2人の運命を描くものとするならば、それがハッピーエンドで終わるはずがない。もちろん、物語の中で幸福な結末が描かれることはあるかもしれないが、歴史的な事実としては間違いなく不幸な物語で2人の運命は終わるのだ。2人の運命の儚さを美しいイラストで描いていることに歴史の残酷さを知る。
 本作の最大の魅力はキャラ設定にあると私は考える。本作には実朝と信子の2人だけでなく、北条政子、北条義時、北条泰時、阿波局(実朝の乳母、政子・義時の妹)などの北条氏の一族の描写も充実している。そうした歴史の表舞台の人物を史実に沿って動かしながら、本作独自のキャラ設定で以て物語に立体感を出すことで、歴史と実朝・信子の運命を実に巧みに1本の糸に束ねている。それも実朝と信子の運命を読者が受け入れざるを得ないほどに。
実を言うと、私の中では読んでいる時にずっと「鎌倉殿」がチラついていた。その理由は、本作に「鎌倉殿」のキャラ設定と重なる点が多かったからである。しかし、本作は「鎌倉殿」より前に刊行されている。当初は「鎌倉殿」以降に執筆された小説と誤解していたので、これは私にとって大きな衝撃だった。「鎌倉殿」も本作も、血で血を洗うような争いが繰り広げられる「鎌倉」を実に合理的に説明できるキャラ設定であり、私はその設定を構築した2人の作者に惚れ惚れとした。
 さらに、実朝と信子の2人のやり取りの描写も見逃せない。お互いがお互いを目の前にして交わす言葉。お互いがお互いのいない場でお互いを思う言葉。私が最近出会った言葉の中で、実朝と信子の言葉ほど美しいものはなかった。2人の言葉だけは物語の中でずっと続いてほしい。

2.武田綾乃『その日、朱音は空を飛んだ』(幻冬舎)

 本作は、アニメ化もされた「響け!ユーフォニアム」シリーズの作者・武田綾乃の作品である。高校生という多感な時期の描写はなかなか難しく、とんちんかんな人物造形をしてしまうと物語の破綻に繋がりかねない。作者の武田綾乃はそうした高校生の描写に最も長けている小説家の1人ではないかと私は思っている。
 正直、『今日、きみと息をする。』(武田綾乃のデビュー作)とどちらを紹介するか迷った。どちらも個人的にはかなり楽しめた作品であり、むしろ武田綾乃を初めて読むという人にはデビュー作の方をおすすめしたい。しかし、私はあえて本作を紹介しようと思う。本作は武田綾乃の紡ぐ黒い世界が全面に押し出されているからである。というのは、武田綾乃が描く人の裏の一面というものは妙にリアリティがあり、恐ろしいという特徴にある。「ユーフォ」はアニメの影響もあり、吹奏楽部に打ち込む高校生のきらきらした青春を描いた作品と思われがちであるが、原作はもっと人間関係がドロドロしている。トランペット奏者の吉川優子はアニメでデカリボンが付与されているので、ややマイルドに見えるが、文字だけで見ると少し怖い(本当はいい人!)。そうした少しダークな一面を本作では全面的に解放している。
 本作は高校の屋上から飛び降りた女子高生・朱音について、関係者の視点を切り替えながら、朱音が実際はどのような人物で、なぜ飛び降りたのかという答えを探る構成をとる。徐々に朱音の人物像が明らかにされる展開は、彼女に向けられたスポットライトが1つずつ点灯するようで、ある人のことをいくら知っていても知らないことだらけということに気づく。最後に明らかになる朱音の人物像をあなたは嫌悪するだろうか、共感するだろうか。そうした感情も含めて、武田綾乃のイヤミスを味わってほしい。

3.森下典子『日日是好日』(新潮社)

 本作を紹介したいと思ったものの、どのような言葉で説明することが望ましいかまったくわからない。確かに、本作の印象的な場面や好きな場面を説明すれば紹介文としては成立する。しかし、私が本作を読んでいて得た感覚は共感である。この共感というものは、私が茶道を習っていたために生まれる共感である。例えば、茶道のお手前は手順を頭で覚えるものではなく、体で覚えるものという先生からの教え。これは、まさしくその通りである。実際に茶道を習っていた頃、「次は建水を…」「次は茶巾を…」などと一々手順を頭の中でさらうことはしなかった。無意識に体が次の動作に移っていた。本作には茶道の「あるある」が詰まっており、私はそうした記述と過去の茶道の記憶を辿りながら、何度も首を振っていた。こうした共感抜きに私は本作を読むことはできない。では、茶道をしたことがない人にとって、本作は面白くないのか。否、そのようなことはない。茶道と日本のことが好きになる一冊ではないかと思う。スルメ曲という俗な表現に例えることも畏れ多いが、茶道は何度も何度も触れ合ううちに、その魅力がじわじわと体に伝わってくる。特に、本作で印象的な描写は「水」の表現だ。私は作者のような境地に未だ至っていないので、「水」のダイナミックな感覚を味わったことがない。しかし、これからを生きる中で、そうした自然のあり方をより実際に近い形で味わうことができるようになればと思う。

 日本文学に対する熱が若干落ち着きつつあるので、ここから大体3ヶ月は海外文学を読む期間にしたい(とはいえ、積読は減らしたいので日本文学も読むと思う)。

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