チョウメイ

自分の過去を自分の為にまとめます

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最近の記事

僕の生い立ち③ 幼少期

幼稚園に通っていたらしい。らしい、というのは記憶がほとんど無いからだ。昔の写真を見て、ああそうなのかと思うだけ。 僕は小さい頃は本当に気が弱かった。ポジションもみそっかす。少ない友達もみそっかす。強い友達にしょっちゅう泣かされていた。 家の中にも安息は無かった。父は亭主関白で、理不尽に怒っては食器を投げて割ったり、ガラスを割ったりしていた。母にも手をあげていたし母も良く泣いていた。その頃の家族は父の顔色を伺っていた記憶ばかり。 怒られるときは玄関のドア外に正座させられた。

    • 僕の生い立ち②初めの記憶

      僕の一番最初の記憶は4~5歳の頃。担架に乗せられて脱腸ヘルニアの手術へ向かう時の記憶。手術室入口横のベンチに母親と祖母が居た。入って麻酔のマスクを被せられたがあまりにゴム臭いので外した。もう一度被せられてからは記憶が無い。 後は入院中の記憶。隣のベッドに女の子が居て、ゲームを貸してもらい延々やっていた。借りっぱなしだったので少しは遠慮しろよと思う。入院中の記憶はそれくらい。 続く

      • 僕の生い立ち① はじまり

        僕は東京の下町に生まれた。ちょうど最近知名度が広がりつつある、あの街だ。 実際に生まれた病院は川の向こう。本籍もその辺り。父親の地元だ。 両親について。父親はいわゆる元ヤンで中卒で水道の配管工をしていた。シンナーを吸っては女の子と遊んでたらしい。 母子家庭でお金を稼ぎたかったのかもしれない。オモチャ工場やライター工場でも働いてたらしい。中卒なら給料も安かったろう。 母親は高校卒業して青森から上京してきたらしい。服飾の専門学校に行きたかった、と聞いた覚えがある。 そんな母親が

      僕の生い立ち③ 幼少期