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気絶のメイドとして肯定されてる気がして嬉しかったこと。


こないだまでの私の脳内〘 人との距離感を測るのが下手すぎて私が気を使ってしまい変にたくさん話しかけちゃったりしてお客さんが話しにくいことあるだろうな。居心地のいい空間を提供できてるんだろうか。そもそも私はThe メイドって感じの容姿でもないし(まあ可愛いけど)でも気絶に容姿は関係ないから気にしても仕方ないけどたまに気にしちゃうな〜視覚からもプラスの陽気?を与えたいじゃん。ところで私は気絶の空間に合ってるのだろうか。気絶っぽいとはなんなんだろうか。気絶に貢献できてるかな。うーーーーん。〙って感じで「気絶っぽい」についてぐるぐる思考を巡らせる日々を過ごしてたんだけど気絶に来てくれたお客さんが「会いに来た!」って言ってくれてすんなり解決した。

だって「会いに来た」というのは気絶のメイドの私となにかを共有したくて来てくれたってことだから少しは誰かの役に立ってるってことでしょ。それってハッピーじゃんかーってなり解決。

「推し」という言葉が存在する競走社会みたいな世界の近くで生きてきて思ったのはメイドやアイドルが「私の出勤日はお客さんの集客できます!」とか「私の客を取った!!(そもそも人間は物じゃねえよってよく思ってた)」みたいなこと言ってたり周りからそういう話を聞くことで変なプレッシャーがかかって嫌だったし、変なことに巻き込まれたくないなぁって思って心がゴモゴモしてた。推し以外が話に行くと明らかに嫌な態度してきたり、いろんな話を振っても会話する気がない返事だけしたりする推し以外人間扱いしてくれないご主人様(こういう人は大体推しにもよく思われてないことが多かった気がする。推しに好かれたいなら推しの周りも人間扱いしするといいよ。)などを対応するのもしんどくて「推し文化の存在しない空間でのびのびメイドになりたいよ〜〜」って気持ちを汲んでくれる場所を探してたら推しという概念が存在しない気絶を見つけた。
上記の嫌な理由がクリアされた場所で晴れて新しいメイド人生が幕を開けたので「推されて〜〜〜」という気持ちはないんだけど「会いに来た」って言葉に気絶のメイドとしての存在を肯定されてる気がしてすごく嬉しかった!

「会いに来たよ〜」とか「Twitterで見て話してみたいと思ってきました!(これ言われると本当にめちゃくちゃ嬉しいが故に、自分をよく見せようと緊張してちゃんと話せないところ治したい)」などなど言われると「気絶に必要な存在なんだ!」って思えて私は嬉しくなっちゃう。
単純ハッピーレディなのでこれを読んでる人は覚えておいて欲しい。

なんだろう気絶の「会いに来た」は友達とか日常生活の何気ない話が出来る近しい人に会いに来たって感じがしてすごく心地よい。重たくなくていい。ラフ。

結局「気絶っぽい」とはなんなのかよく分からないんだけど気絶に来てくれたお客さんが「気絶という空間を知れてよかったな」とか「また気絶したいな」「ちょっとした心の拠り所」って思ってもらえるよう今後も手探りで気絶という場所を守りつつ新しい楽しいことを提供していけるメイドでいようと初心の心を思い出せた9月中旬なのであった。

2021年残り3ヶ月、楽しい日が一日でも多くなるよう無理なく生きていこうな。
私は明日も楽しく過ごすよ、みんなが居てくれるおかげな気もする。 
いつもありがとう〜!



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