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1.プロローグ

はじめに
 
同じ野菜でも、一流のレストランで食べるのと同じくらい自分で育て収穫した野菜を食べるのもおいしいと感じるのはなぜだろうか。新鮮だからということもあると思うが、きっとそれ以上にその野菜が育った環境や過程を知っているし、何より育てた喜びや苦労がたくさん詰まった野菜だからに違いない。 都市部近郊では家庭菜園が大流行なのも理解できる。野菜が生まれ育った物語、紡いできたすべてが特別な調味料になり唯一無二な美味しさになるのだと思う。これぞ自然と五感を総動員し時間をかけて紡いできた野菜の美味しさだと言いたい。これに対して前者の一流レストランの食も美味しい。これは料理人の経験から裏打ちされる百花繚乱の技が紡いでくれた特別な味とでも言えば良いのか、人間だけが生み出す特別な食の世界とも言える。現代の都市的な生活では圧倒的にこの世界が優勢だ。
 でもちょっと待ってください、同じ野菜と書いたが、そもそも同じ野菜なんて有るのだろうか?

 有るわけない。
当時35歳の私は娘の小児がん治療を目的にゲルソン療法のための有機野菜を自宅近くの畑で育てている時の初めての感覚だった。35年も生きて来て初めて持つ疑問でもあり、手にする土まみれの野菜を観ながら初めて味わう感覚に、訳もなく嬉しさがこみあげてきたことを今でも忘れられない。

 あれから30年以上が経ち、自分自身が体現して来たもの、この経験が確信と成って来たもの、これは自然の摂理に沿った考え方、かっこよく言えば哲学とでも言えるものを「ゆるナチュラル」の勧めとして書き残したくなった。何より次世代の若い世代の人達のために。
 具体的には自分の幼少期の虚弱体質、小児時代からのアレルギー体質の激的な改善、自分の2歳の我が子の小児がんからの生還、65歳を越えた今でも何不自由なく健康に過ごせ、血液検査は今もオールA、何より老眼、近眼なしの裸眼でスマホや本の読み書きが出来ている。などなど30年以上体現して来た経験を基に、ああすればこうなる的なhow-toではない基本的な考え方をお伝え出来たら幸いだ。
 この考えは東京でのバブル期や失われた時代と呼ばれた時期を含めた40年間、IT系会社員として激動の都市生活を送った経験とその後の宮崎での4年間の百姓生活から生まれたものだ。その間には那須塩原の専業農家に囲まれ東京村と呼ばれる田舎から新幹線通勤をした11年間の半農半Xの貴重な経験も含まれる。
 
 現代の都市生活の閉塞感や生きにくさ、精神疾患の増加、何より一番問題である少子化、一番大切なはずの子供たちのアレルギー疾患や発達障害をはじめとした数々の病気発症率の増加等々、先にも述べたまさに社会の閉塞感や吹き出す社会問題の根本原因は、間違いなく同じだと感じるからだ。
 
 私がやっていることは、たったひとつ。人口の99%を占める都市的生活者は、人工物に囲まれ、人工の規範やルールの中で生活している。そこに隠れて退化し見えなくなっていった大切な感性がある。この自然な感覚を、食を通して取り戻すこと。食を通して命を育て「生きる」感覚や「人とつながる」喜びの感覚を取り戻すこと。
なぜなら都市生活の中では、食と人間だけが唯一の強い関係性を持った共通の自然物だからだ。
 ペットも供に生きる自然物であり大切な存在だ。自然物である公園の樹木伐採に反対する感覚も無理はないと感じる。
 現代を生きるほとんどの人が依存する、経済合理性からしばし離れ、心と体の健康に少しでもお役に立てればとの思いで書いている。

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