9.11への2つの軸

9.11への大まかな軸は1979年の同時期に発生した2つの出来事が影響している

1)1979年12月のソ連アフガニスタン侵攻

もともとイギリス領より独立したアフガニスタンは王国を築いていたが、内政においてソ連の影響した共産党勢力が1979年にクーデターを起こした:これを機にソ連が共産党勢力の支援を名目にアフガニスタン侵攻を起こした。アフガニスタン国内のイスラム聖戦士ムジャヒディンはこれに対抗するように抵抗が全土に広がった。ここでアメリカのZbigniew  Brzezinski (ズビグニュー・ブレジンスキ)がパキスタン経由でアフガニスタンへの援助を行ったとされる(冷戦時代の対ソ代理戦争のような要素である)。パキスタンは米調和路線であり、アメリカの下でパキスタン-アフガニスタン経由で武器の援助を行った。ここでウサマ・ビンラディン率いる「アルカイダ(名簿の意味)」をも組織、多国籍の有志ムジャヒディン(アルカイダ)もアフガニスタン国内の情勢に参加することでゲリラを展開、ついに1989年ソ連はアフガニスタンより撤退をした。その後もアフガニスタン国内は多民族・山岳地帯であるが故、統率が取れず、1994年にはパシュトゥン系ムジャヒディンがイスラム・デオバンド派である「タリバン(学生の意味)」を組織しタリバン VS 北部同盟(そのほかの民族派)で主に内ゲバを展開した。

2)1979年2月のイラン・イスラム革命

イランのアメリカ寄りの自由な雰囲気のあったパフラビー朝が倒れ、ルーホッラー・ホメイニー師がフランスより帰国、イラン・イスラム革命が発生し、イランは厳格なシーヤ派イスラム国家としての新たな歴史を1979年より現代まで刻むこととなった。この際に、周辺のアラブ諸国はシーヤ派の革命に危機感を覚え、また隣国イラクとの間でアラブ・シャトル川の利権をめぐり1980年にイラン・イラク戦争が勃発。実際はアメリカ寄りであったイランが突如反米に転覆したこともありイラクを支援する形で背後にイラン&アメリカ VS イランの構造で8年もの間、戦局は展開された。1988年停戦、1989年にはホメイニ師も死去し1990年にイラン・イラクは国交が回復した。しかし、この8年の代償は両者ともに打撃であり、特に借金に埋もれたイラン・フセイン政権は、石油資源が豊富であった小国クウェートへ侵攻を行った。(サウジアラビア・クウェートのOPECを無視した石油売りさばきにより原油価格の低下、石油輸出に依存していたイラクへの打撃もあった)

その結果、1991年に湾岸戦争が勃発し、今後はアメリカ VS イラクの構造に変化することとなった。

ウサマ・ビンラディンは湾岸戦争時にアメリカのサウジアラビア駐在を批判して、自国から国外追放、その後スーダンに潜伏し、1993年ニューヨークで世界貿易センター爆破事件が引き起こし、それを発端にスーダンから国外追放、結局アフガニスタンのタリバンに、ソ連アフガニスタン侵攻時の功労者、客人として迎え入れらえ、タリバンを頼りにアルカイダのトップとして潜伏し、2001年に9.11が発生した

Q1. 説明で正しいものを選べ

a. タリバンはウサマビンラディンをトップとし、アフガニスタン国内でテロ活動を行っていた
b. ウサマビンラディンはアフガニスタン国籍である
c. アルカイダはイラン国境地帯経由で、アフガニスタンへのソ連侵攻に対するゲリラ活動を支援した
d. デュアランドラインとは、アフガニスタンとパキスタンの国境を示す

Q2. ソ連によるアフガニスタン侵攻が発生した1979年、この時期に同じくして発生したのはどれか1つ選べ

a. 第四次中東戦争
b. イランイスラム革命
c. ベトナム戦争
d. 湾岸戦争

解答 Q1. d,  Q2. b

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