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自己紹介というか遍歴というか

自己紹介というタイトルをつけておきながらなんだが、自己紹介がものすごく苦手だ。
名前以外に何をどこまで言えばいいのか分からなくなる。
色々考えた末に、言っている途中で自分の名前が正しいかすら分からなくなる時もある。苦手だ。


noteでの名前は色々迷ったけど、旧姓をそのまま使っていこうと思う。
名前負けならぬ名字負けする名字だなぁと思っていたけれど、いざ結婚して名字が変わるとなると、かなり抵抗した(旦那すまん)。
今まで名字でしか呼ばれてこなかったので、もはや自分を定義するアイデンティティになっていたらしい。
珍しい名字の方には、もしかしたら共感頂けるかもしれない。


出身は富山県。大学進学に伴い、仙台に行くことになった。
家を探しに3月11日の夜に仙台へ向けて発つ予定だったが、その日の午後に起きたのが東日本大震災だった。
その日は仙台に行けるはずなどなく、少し遅れて5月に大学に入学することになった。
むしろよくあの大変な状況下で迅速に手配を進めてくれたと思う。感謝の念が尽きない。


忘れられない光景がある。
震災当日の夜、テレビを観ていたら、炎に包まれる街の映像が突如飛び込んできた。宮城県気仙沼市からの中継だった。
発生直後から流れ続けていた津波の映像もかなりの衝撃だったが、私が今でも忘れられないのは、その気仙沼の光景だ。
何故かは分からない。津波と火事、というのが、結びつかなかったせいかもしれない。
あの規模の火事が日本で起きている、ということが信じられなかったのかもしれない。
危うい表現だが、「戦争みたいだ」と思った。


とにもかくにもそれから4年後、所属していた震災ボランティアのサークルでの縁が繋がりに繋がって、私はその気仙沼市に移住することになる。


人生って本当に何が起こるか分からないなあ、と心から思う。
だけど、不思議とあらゆる点と点が繋がっていくものだ。


移住の話はおいおい書くとして、ひとまず時を進めて、移住して今が8年目。
そして今年度からは気仙沼を離れ、関東に住むことになる。
また新しい人生のスタートを切る、今がちょうどその分岐点。
全くもって人生は何が起こるか分からない。


気仙沼での8年の暮らしは本当に充実していて、いろんな経験に満ちていた。
だから、それを経たからこそ得た自分の考えなんかを言語化したいと思ったのも、noteを始めた理由のひとつかもしれない。
このまま素晴らしかった日々として美しい思い出にするだけでは、もったいないと強く思う。


とはいえ、何か気仙沼のために残せたかというと、何も残せなかったなあという思いが強い。
少なからず何か気仙沼のためになれば、という想いで移住したにもかかわらず、反対に地元の方々に支えられ、救われてばかりの日々だった。


なので前回も述べたとおり、かっこつけずに、何も出来なかったなりに書けることを書く。
もはや自分語りの自己満足。
あわよくば、このnoteを通して気仙沼に興味を持ってくれる人が1人でもいれば、それはとても嬉しいことだなと思う。


自己紹介というかただの遍歴になってしまったが、書きたいことがひとつ見つかって良かった。
私にしか書けないこと、なんてきっと無いかもしれないけど、私にも書けることはきっとあるはず。
細々とでもいいから、これから言語化していければと思う。


まあでも、なんとなく、他にも色々書きたいことが出てくる気がする。
ひとつのテーマに縛られず、しばらくは自由に色々書いてみようかな。
本当は見出しをつけたりもっと余白をつけたほうが良いのだろうけど。
読んでくださる方々が非常に読みづらい文章を提供しています。すみません。


まだ一度しか投稿していないのに、何かを書くことってこんなに楽しいんだなと、久しぶりにうきうきしている。
ほんとになぜ3年も放っておいたのよ、自分。

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