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第二話 「福岡の中卒サラリーマン大家」の不動産投資物語 組織との葛藤、不動産への入り口

昇進し、東京本社での苦悩、挫折、心の病。
僕にとって、短くとも最も辛かった出来事は、
妻の病気によって、救われました。
福岡に帰られる。 単身赴任で良かったと思えた
一家で移住していたら、人生終わっていたと感じた出来事でした。

福岡に戻って、仕事のやり方を一変させた僕に
周りは驚きを持っていました。

これまで、自分さえ良ければ良かった僕の振る舞いは、なりを潜め
仕事に対しての考えを全て変えて、
チームに対し、できない人が時として居ようとも、どう貢献ができるか、

そして、組織にとって大きな役割を持つことができるのかを考えて臨んだ職務。

東京の出来事から、自分の存在意義は何かを考えることが
大切な仕事だと認識して、僕は再び仕事に励みました。

過去の成績は「自分が作ったものではない」と悟った出来事。

中洲。4年弱、この地域を担当し、経験してきた全ては、僕が残した結果ではなかった。

僕は、東京で、仕事ができない人間になって
過去の成功や経験は、自分が成し遂げたものでは
なかったことを、しみじみ感じていました。

それは、過去の顧客や携わってきたみなさんに「可愛がってもらった結果」であったことを悟ったからです。
僕のような人間の成績に力を貸してくれた、なんとかしてやろうと思って頂けた
そのような事があったから。

だからこそ、チームへの貢献と同時に、顧客の信頼を一社員として
どのように構築するかを考えて、僕は臨んだのであります。

不動産投資で言うと、物件を買うことも、運営することも、何もかも
自分が成し得たものではなく、信用と、協力、自らの働きこそが
結果を産むことであると考えます。

このようなサラリーマンの経験が基礎なって
今の自分があるとも感じたんです。

そんな思いを胸に、福岡での業務を心を入れ替え努力していた矢先、
これまで経験したことのない屈辱的な出来事がまたしても待っていたのです。

クソと初めて思えた上司、組織との戦いが始まる。

自分らしい仕事を!望んでいた僕に立ち塞がるクソ上司とクソ組織との戦いが始まった。

福岡に戻り3ヶ月が経った頃、妻の手術後の容態もよく、元気になってゆきました。

僕も仕事に再び打ち込み、チームや顧客との関係も調整しながら(過去このような考えはなかった)毎日毎日汗水垂らして頑張っていました。(がんばれていた☺️)

そんなとき、うまく付き合っていた上司が転勤し、新しい上司が赴任
田舎から来た彼は、鼻息荒く、僕らをコントロールしようとします。
しかし、上司より、地域や顧客をよく知る僕らの仕事、仕事のやり方と
いきなりぶつかります。

上司「お前、そんな考えで仕事してても、自分の昇進や、チームのためにならん」

僕「いや、東京に行って、それが間違いだったからこそ、僕は僕の仕事の方法を
  考え、チームにどのような貢献が望ましいかを考えた結果です」

上司「もう上を目指さんのか?俺は目指すぞ」

僕「そういう道はいいと思うけど、あなたと僕とは目指し方が違うだけです」

上司「なんだそれ、とにかく俺の言う通りにやればいいんだ、わかったな」

僕「わかりました(だけど、僕は曲げません)」・・・・

そのようなやり取りが、仕事を遂行するに幾度もあり、
時として、僕に無理難題な業務を投げて、リターンがないと
「おい、俺の仕事の足を引っ張るなよ」などと言われる始末。

僕は、表向きには理解して、付き合って行こうと思っていましたが
心の中では、お前の成績に繋がるような仕事は絶対にしないと決めて
チームと自分の仕事に専念し続けましたが
月を追うごとに追い詰められるようになってゆきます。

そして、上司の上席も、僕の仕事態度よりも、上司に対する態度、
組織のための仕事に対して、苦言を言われる様になって来て、
過去僕が活躍していた時代とは、明らかに組織の空気や人間性が
悪化していることに危機感を感じ始めていました。

過去はスター扱いされ、今はクソ部下扱い。
ここまで働きにくくなってきた環境に、経験したことのない
ストレスを感じる様になって来ました。

上司は相当僕の評判を落としまくっていたのだろうと思います。
周りも僕から距離を取ろうとして来ました。
きっと耳打ちされていたのでしょう。

そのような状況で、
僕はこれをいつまで続けられるのだろうか。
誰のためにこの会社で働いているのだろうか。
僕の存在意義は、このままであるのだろうか。
いつしか、その様なことを考える様になって来たのです。

今まで上手くいきすぎて来たのか。
こんな経験するなんて。。

家族にも難しい問題が起き、これまでで最も苦難を感じる出来事が起こります。

この先の天候は行き先不安だらけ。だけど、逃げるわけにはいかない。

働きにくくなってきた僕の業務は、止めることはできず
心に常に違和感を抱きながらも努力し続けるしかありませんでした。

その様なとき、僕の子供が不登校になってしまいます。

僕そして妻と、子に対する心に寄り添い方が、良くない方向に向いてしまった
そんな出来事が子の不登校を招いてしまい、
僕ら家族は辛い時期に突入してしまいました。

そして、追い討ちをかける様に、2012年秋口に、妻のお母さんが病気に罹ってしまいます。

結婚し、妻の姓に入った僕にとって(僕には旧姓がありますが、両親がいないことから妻の姓に入った経緯あり)義母の面倒を見る心づもりでいた為、
僕と妻は、子に対して、義母に対して気を掛ける、心を向ける比重が高まってゆきました。

その様なタイミングで、僕は上司と本格的に衝突。

仕事に対しても、家族内でも、そして妻も子も、全員が辛い時期に突入してしまいます。

働くことを辞めるわけにはいかない。
子供も自分らしく生きてほしい、自分たちは何を行うべきか
義母に対しても、妻は看病する事も増えてゆき、
どこか行き場のない、状況になって行くことに不安を覚えてしまいます。

これまでとは全然違う、何か避けて通れない出来事が一気に襲ってきた。
そのことを感じざる得ない出来事が
また起きてしまいます。


それは、
義母の病気が悪化する懸念から、病院に入れる必要が出て来たこと。

妻から聞くと、施設に入れると月々15万円は必要。
当時僕はファイナンシャルリテラシーのカケラもなく、
現金30万円と、借金も3000万円。

当時浪費家の僕にとって、
義母を施設に入れるお金など、一切ありませんでした。

これはもう、避けられない、逃げられない。。
これまでで一番恐ろしい出来事が
目の前に現れてしまったようで、僕は本当に怖くなってしまったのです。

しかも仕事も行き先が不安であり、自分の将来をどうしようかと思っていた時期、そんな矢先の出来事。

サラリーマンを続けながら、足らないお金は、ダブルワークでもしながら
稼ぐしか方法はないと感じていました。

しかし、生活もあり、今後のことをゆっくり考える暇など、あまりなくて
ただ、ひたすら頑張るしかないと
思っていました。

ただ、絶対に逃げられない。そのことだけは、頭の片隅にあったのです。
覚悟する時は来るなと思ってました。

きっかけは突然に。

行き先は暗いかもしれないけど、自分を照らしてくれるきっかけが、そこにはありました。

その様な辛い時期、消費財系の仕事の商品を扱っている、福岡市中央区のとある不動産店に、業務で立ち寄りました。

その店先で見たものに、激震が走りました。
この売り物件・・・・・・ い、一億・・・

まさに、この様なマイソクを店頭で見て、激震が走ったのです。

不動産店の店頭で、僕は一体何を感じたのか
この時の出来事で、僕の一生は激変してしまいます。

苦悩からの脱出はできるのか、
家族、義母のための資金はどう繋がるのか、
第三話へ続く。

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