#1 仕事 在宅ワークを始めた経緯
コロナウイルスが蔓延してから、在宅ワークと言うキーワードが出てきて、実際に会社勤めだった人達が在宅で仕事をすると言う仕事の仕方が普及した。
でも、コロナウイルスが落ち着いたら、やっぱり事務所に通勤してね❤︎ってなるので完全な在宅ワークではないよね
今回は、どうしてわたしが在宅ワークに就くことになったのかをご紹介します。
今までの仕事
結構色々な仕事をしています。
家電量販店・メーカー内外勤・保険外交員・広告代理店・造園組合の事務・外国タバコのラウンダー・ミステリーショッパー・回線ヘルパー・実演販売士 後なんだっけ?バイトとかも入れたらアレなので割愛で。
実はわたしは今までの仕事は、販売員が多かったんです。
特に一番長いのが家電量販店の店員、しかもちょっと特殊な海外ブランド品のバックや時計の販売を合計で14年ぐらいかな?(他にも様々な仕事を!)
隣の白物家電(は好きではないけど)やPC系も好きで、オールラウンダーではありました。
当時働いてた店舗は、隣店からは北○鮮と言われる程の店舗で、朝から晩まで働いて残業して、子供も3人育てながらうさぎのブリードまでして(笑)家業の手伝いなんかもして💦
それでも飽き足らず、朝まで友達とオンラインゲームやチャットをしてました。本当に今考えると恐ろしい体力(?なのかな?)
そんな生活が続いてたのですが、等々と言いますが40歳になった途端体調を崩してしまったのです。
兼ねてより感じてた貧血が更に悪化しまして(確か数値が4まで下がり、お医者さんには普通に生活できてますか?っと聞かれる程で、できないから医者嫌いなわたしが検査しに来てるんですが…)、今までのように働けないと感じたわたしは「退職」を考えるように初めてなった。
まぁ、特殊な売り場なので休憩中も呼び出しされて、昼食もまともに摂れてなかったし、体重は38kgを切りそうだし…売り場は等々2人で回せと言われ、他のフォローも入れと言われ…
そんなある日、副店長に呼ばれた。
「実は、1人集中レジに移動しようと思ってるんだけど、福永さん1人でも売り場大丈夫だよね?」っと言われた。
ちなみにわたしは売り場の責任者(他の部署に引き抜かれましたが)でもなければ、決定権もない。
「はぁ、今でも2人で回せてないのに、1人ですか…」
「隣の店舗から1人もらうからさ(品出し要員)」
「え?1人になって、更に新人に教える感じですか?!」
売り場には、その時バックとかはなかったが高級なお時計が残っていた。
商品についても教えるの大変だけど、コマつめや、電池交換…
「決定ですか?」の問いに「決定です」と返事が来たので、一日考えさせて欲しいと言った。
次の日に、副店長に伝えた。
「1日考えたのですが」
「辞めます」っと
わたしは店長には嫌われていたが文句も言わず従順に働いていたと思う。
なので、義理は果たしてるだろうと退職と考えてすぐと言うのもあり、速攻やーめよ!って思った😅
副店長は、鳩が豆鉄砲な顔をしたのちにこういった。
「決定ですか?」っと
わたしは答えた。
「決定です」
っと
予想外の答えだったのだろう、店長に報告してくるっと。
まぁ、その後も様々なことがあったけど、元売り場責任者がわたしにえらい同情的で「あんなに働いてくれてるのに、ねぎらいの言葉もない」「困った時ばかり」と愚痴りながら有休をさくっと消化させてくれるシフトを組んでくれて、きっと将軍様からは、評価もしてないのに引き止めろとか言う話しになってるんだろうな、あははって思ってた。
まぁ、そのF長の協力もあり12月の忙しい時期に辞めることができて脱北することができました。
その後は、弟が介護の仕事をしてるのですが、介護の仕事は人生観が変わると言われ、人間は歳を取ると我儘になりどうしようもない性格になる人もいるけど、認知症の人はおかしなことを言うけど、本当にそこにそれが見えてて言ってるんだよ、だからすごく純粋だよねってって言葉で、わたしも介護の仕事がしてみたい介護福祉士の資格を取ろうと思ってしまった。
それからバタバタと調べると、失業保険をもらいながら介護福祉士の専門学校に2年間通い資格が取れることを知り、早急に申し込みをしなんとか卒業して資格も取った。
だが、途中でこの仕事は自分に合わないと感じていて(他の人に言わせるとみんな思ってたみたいだが)結局は仕事はせずに、その時にたまたま北○鮮の回線ヘルパーが諸般の事情でみんな居なくなってしまい、誘われたので少しやってみるかっと軽い気持ちでやることにした。
40歳超えたおばさんが、回線ヘルパーって教える方も心配だよね(笑)
研修は、旭川から札幌まで行って数日間行われたけど、札幌の人と2人で研修だったのですが、もう1人の方が量販店未経験者でその方中心の研修となり、わたしは新しく買ったipadに夢中になり、研修内容を夢中でキーボードで打ち込んでました。(内容は覚えてないけど)
のちに、その時の講師から「研修まともに聞いてなかったよね…食いついて来たのはパラボナアンテナの角度の話しだけだったし…」っと言われるも、元々いたO社の人がY社の策略で辞めることに追い込まれたとのこと。わたしは入ったばかりで職場で1人でしたが、そこは将軍様もいなくなった元職場、皆様のご協力もあり多分ひと月ぐらいでメキメキと実績を上げてY社のMD/K氏からは無線で「福永に売場立たせるな!」っと罵倒を浴びるまでに成長しました!(わたしは、O社)
Yの方達は、わたしに挨拶をするのもK氏に怒られるそうで、「話すと怒られるんで…」っと申し訳なさそうに言われた。
なのでわたしは嫌がらせの様にK氏に、にっこり「おはようございます!」っと声を掛けていた、ちゃんと返事も頂けてにっこり☺️
そうこうしてるうちに全面戦争が始まり、その週末は戦場になり、本当にわたしを潰しに掛かる時が来た様で、売り場のポジショニングは全てY社が立ち中立のN社も敵になった。
まぁ、結果はわたしは売り場に立つことなく法人カウンターを陣取り皆様のご協力の元圧勝させて頂きました。( ´ ▽ ` )
8対2ぐらいの割合だったかな?🤔
そうなるとK氏。
もう後がなくなってしまい、突然呼び出された。
売り場の冷蔵庫コーナーの前で、みんなにこっそり見守られる中、「今までのことすみませんでした。」っと言われ「いくら出したらYに来てもらえますか?」っと全ては半年以内で起きた出来事なんですが、その時点でなんかこの仕事飽きたかも?元々長くやろうと思ってなかったし、っと思い「辞めてあげるか?」って言った。
「え?いいの?次の仕事は???」って言われたけど、特にないけどなんとかなるでしょって思って辞めることにした。
毎日飽きることなく楽しかったけど、攻略するともうよくなるよね(笑)
一般事務のわたしが北海道に住んでいて、九州の仕事を在宅ワークでするようになった経由。
そんな訳で、次の仕事を探したのですが自分の経験に足りないことを実務経験で補ってから定年まで働ける事務の仕事を見つけようと思い、3年契約で更新なしのP社で希望の事務の仕事ができることになった。
結局は、SA〜SPになり外回りをすることになり、契約満了する時に隣の部署で2年契約で仕事することになり、合計5年間お世話になりました。
退職する時もとてもよくして頂き、わたしは色々とやりたいこともあったのでしばらくは今後のことを考えながら仕事を探そうと思ってたのですが、たまたま九州の同列のお会社様から直接オファーを頂きまして、1度はまだ早いと思い断ったのですが、何度もお誘い頂き仕事をお受けすることになりました。
在宅と言う何か魅惑的な響きと、うさぎ抱っこしながら仕事できるんじゃ?と言う淡い期待がありでですね
仕事内容は、P社のシステムでの積算のお仕事です。
一般的なシステムではないので、使えることで重宝されていてラッキーでした。
実は、このシステム元々P社との契約の段階ではしなくてもいいと項目に入ってなかったんです。でも、わたしの性格からするとなんでもやってみようっと軽い気持ちで対応していたのに、次の仕事につながることになったんです。
それが、今在宅ワークになった原点かな?
ハローワークに仕事が決まったと伝えに行った時に、根掘り葉掘り聞かれてそんな雇用もあるんですね 今まで聞いたこともないって言われました。
今もし、仕事の仕方を変えたいとか転職を考えていて在宅ワークがいいなと思われてる方は、会社で当たり前に使われている一般的ではないところに注目して仕事を探されるのもありかな?って思います。
でもまぁ
わたしはやりたいことが沢山ある人なので、それが最善だったかと言うとうさぎのブリードもしてますし、二兎を追うものは一兎も得ず 状態になってまして、改善しないとダメかな…って思ってます。
在宅であっても普通のサラリーマンと同じく時間が拘束されて仕事しますんで、自分で好きな時間に仕事できる訳じゃないんですよね
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