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ちょっと夢が動いた日

今日はちょっとだけ自分の夢が動き出したような気がしてワクワクしています。

自分の夢として「民俗芸能を守りたい!」と公の場で主張しだしたのが中1で、それ以来ずっと何かを考えるときには結局民俗芸能にいきついてしまうので、周りからは常に「変人」扱いされてきました(現在進行形)

「若いのに地元のこととか伝統とかそういうの考えられるなんてすごいねー」って好奇の目を向けられ続けるので、何かおかしくない?ってずっと思ってます。(自分の好きなことに熱中して何が悪いんじゃ。)

でも昨日今日、いろんな人に話を聞いてもらい、道しるべをして頂いた結果、自分の中でどれだけ強く「民俗芸能を守りたい」と思い続けても、民俗芸能は守れないということに気が付きました。(仮に誰かに言葉で主張していたとしても結果は同じ)

今まで自分がやってきたことは決して無駄ではなかったと信じていますが、自分の頭の中で考えていただけであったなぁと思います。机上の空論どまり。

自分の頭の中で考えることももちろん大切なことであり、未だに自分がここまで民俗芸能に熱中している理由をきれいに言語化することはできないので、これからも頭の中でたくさんたくさん考えることは必要なのかなと思います。

でも「民俗芸能を守りたい」という私の夢をかなえるためには、「行動すること」が何よりも重要なことだと気づかされました。

毎年毎年継承される民俗芸能の数は減り続け、私がのんきに「価値ある民俗芸能を守りたいんです!」って主張している間にも日本中ではどんどん大切なものが失われているわけです。

小さなことでもいいからつべこべ言わず手を動かし、行動し、結果が出たらそれをブラッシュアップし新しいものを生み出していく…。

やってみなきゃ何もわかんないんです。
やってることが正しいとか正しくないとか、周りにどう評価されるのかとか、自分が今まで恐れてきたことがちっぽけに思えてきました。

「やりたいことが多すぎる!」って悩んでいたけれど、結局それは行動する勇気が出なかった自分の言い訳に過ぎなかった。
やりたい!と思ったことをその場で実行に移すことなく、刺激を求めてまた新しくやりたいことを探してた。明らかに生産過多。
自分のやりたい!を消費してかなきゃ。

といいつつも、やっぱり行動に移すのにビビってる自分がいるのは事実です。
特に、若い世代の私たちのアクションが、保存会のトップの人とかいわゆる長老級の大人たちにどう映るのか未知の世界すぎて怖いです。
応援してくれる大人ももちろんたくさんいるだろうけど、「若いお前らに伝統の何がわかるんだ!」って言われたら、もう何も言い返せません。
長老たちのプライドを理解するには、あまりにも自分が未熟すぎる。

それでも「民俗芸能を守りたい!」と主張し続けられる強い信念を持ち続けたいし、その信念に基づいて自分が正しいと思ったことを行動に移せる勇気を大切にしたいです。


話は大きく変わりますが、
私が高校1年生の時、花祭のトップである花大夫(はなだゆう)を長年つとめていたおじいちゃんが亡くなりました。

そのおじいちゃんが竹から作ってくれる横笛は本当に良い音がして、祭りの囃子を華やかにしてくれています。(私はずっとおじいちゃんの横笛を愛用している)

そのおじいちゃんが亡くなった際に工房に残されていた横笛は4本。

残念ながらおじいちゃんが横笛を作ってくれることはもうないので、残された4本を大切にしていくしかないわけです。

で、重要なのはその4本の横笛が今私の家にあるということ。

おじいちゃんは、次に花大夫をつとめる直属の後継者でもなく、集落の長老でもなく、これから祭りを中心になって担う40代50代のおじさん達でもなく、16歳のJKに託してくれた。

おじいちゃんが生前私に大切な横笛を託してくれたのには絶対に何か大きな理由があるし、私には渡されたバトンを次の世代につなげる責任がある。

おじいちゃんの意図を理解するには今の自分の経験値が低すぎるが、人生をかけて解明していく必要が絶対にある。


そんなわけで気づいたらnote書き始めて4時間30分たってて軽く恐怖。

結局何が言いたいのかわからなくなってきてしまったが…

それでもワクワクは止まらないね。




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