恋に落ちるということは
「恋に落ちる」とはどういうことなのだろうか。
「誰かを好きになる=恋に落ちる」なのだろうか。
これは「恋」について、女子大生がじっくり考えてみた話。
初めて人を「好き」になった
中学2年生の時、生まれて初めて異性を「好き」になった。
今では小学生でも「カップル」とか「デート」とかいう言葉に憧れ、実際世の中にはたくさんの小学生カップルが存在しているらしい。
けれど、私的には小学生の「恋」と中学生の「恋」には大きな差があるのではないかと思っている。
中学生というのは、心も身体も急激に成長する時期である。
世間ではそれを「思春期」だとか「第二成長期」だとか言うらしい。
自分の中に潜在していた「新しい感情」を知り、その「未知なる感情」の扱い方を学ぶ時期にある若者たちは、日々自分と葛藤しているわけだ。
その「未知なる感情」のうちの一つが、「人を好きになる」ということだと思う。
だから、第二成長期以前の小学生はまだ知らない(知ることができない)未知なる感情が芽生える「瞬間」がきっとあるはずだ。
今振り返ってみると、私には明らかにその「瞬間」があったように思う。
生まれて初めて、可愛くなりたいと思った。
生まれて初めて、毎日会いたいと思う人ができた。
生まれて初めて、会って話せるだけでこんなにも嬉しいことがあるんだと知った。
生まれて初めて、「付き合ってほしい」と言ってもらえる喜びを知った。
ここだけの話、私の初恋はまさかの遠距離だった。
お互い直接会えるのは夏休みと冬休みの2回だけ。
毎日彼に会いたいと願ったし、いないとわかっていても図書館や電車の中で彼の姿を探した。
会えない時間がとても苦しかったけれど、それでも大好きだった。
ずっとずっと彼のことが頭から離れなかった。
人を「好き」になるってなんでこんなに辛いんだろう…と思っていたけれど、それ以上に自分の心が満たされていく一瞬一瞬の「あたたかさ」を学んだ。
人を「好き」になれなかった
街を歩いていると、とにかくキラキラしている高校生カップルをよく見かける。
高校生になると、何となくだが「自分とは何か」ということを理解できるようになる。
そして、自分の「立ち位置」を知り、自分の「感情の扱い方」にも慣れてくる。
見える世界が広がり、新しいことにも挑戦してみたいと思える。
改めて本当に素敵な時期だと思う。
けれど私は、高校生の時に人を「好き」になれなかった。
もちろん周りにはたくさんの素敵なカップルがいて、みんなとても幸せそうだったし、羨ましいとも思った。
だけれど、私はどうしても異性を「好き」になれなかった。
中学生の時のあの「感情」が全く生まれてこなかったのだ。
周囲に目を向ける余裕がなくなるほど、自分のことで精いっぱいだった。
ただただ辛かった。
「生きる」ってなんでこんなに大変なんだろうとも思っていた。
「恋」に落ちた瞬間
そんな私に転機が訪れたのは、高校3年生の夏。
私は吹奏楽部員として、野球部の応援に行った。
私たち3年生とって、野球部の応援は最後の演奏機会でもあった(もちろん野球部にとっても最後の夏である)。
文化部ブラック度ナンバーワンの吹奏楽部と、運動部ブラック度ナンバーワンの野球部は、互いに謎の団結力があった。
遠いようで近い存在。
最後の夏、何度も私たち吹奏楽部を励ましてくれた野球部に恩返しがしたいと思い、私は吹奏楽部の部長として、野球部のために「応援歌」を作曲した。
受験勉強との両立が大変ではあったが、野球部キャプテンとたくさん話し合いながら、良い曲が作れたのではないかと思っている。
試合当日、グラウンドいっぱいに「応援歌」を響かせ、X(旧ツイッター)でも軽くバズったのだが、それでも結果は初戦敗退。率直に悔しかった。
野球部のキャプテンは、常に中心にいるような人で、信頼され、たくさんの人に尊敬されていた。それでいて、プライドが非常に高い。
このキャプテンが率いるチームなら絶対に勝てると誰もが思っていたし、実際SNS上でも「今年のダークホース」とささやかれていたくらいだ。
それでもあっけなく初戦で負けた。
試合終了後、プライド激高キャプテンは、もちろん涙を必死にこらえていたし、決して部員や私たちの前では泣かなかった。
かっこよかった。
試合の次の日の早朝、私はいつものようにキャプテンと出会った(お互いまだ誰も登校しないような時間から勉強をするのが好きだった)。
彼は第一声私に謝ってきた。
「ごめん。ほんとにごめん。」
そして泣いた。
絶対に人前で泣かない人だと思っていたので正直驚いた。
でも、その時私は彼のことが「好き」になった。
私たちは一瞬で「恋」に落ちた。
野球部のキャプテンと吹奏楽部の部長が最後の夏で「恋に落ちる」という王道ラブストーリーすぎて恥ずかしい。
高校生の「恋」
私たちが「恋」に落ちたのは高校3年生の夏。
つまり、受験戦争真っただ中であった。
ある程度の進学校であったため、同級生たちの雰囲気もピリつき始め、のんきにデートをしている場合ではなかった。
中学生の時との大きな違いは、
「会いたい」と能動的に思うことがほとんどなかったということである。
朝タイミングよく出会えた日はちょっと世間話する。
教室移動のときにすれ違ったら手を振る。
購買で並んでいるのを見かけたら後ろから声かける。
駐輪場でたまたま出会えた日は一緒に帰る。
それだけで心が満たされた。
一度だけ二人で片道6時間かけて山奥の神社に合格祈願をしに行ったが、移動時間は二人とも冠模試の解き直しをしなければならなかったので、ほとんど会話はなかった(余談ではあるが、二人とも受験では大失敗している)。
私たちは、普段のクラスは違ったが、補習授業や模試会場が同じだったことに加え、偶然同じ苗字だったので、補習授業の時はいつも私の前に彼が座っていた。
彼のほうがちょっと頭が良くて、彼のほうがちょっとだけ短気。
お互い目標が高くて、プライドも高い。
良きライバルだったし、大切な仲間でもあった。
だからたとえ同じ空間にいても、一緒に勉強することはなかったし、教えあうこともなかった。
それが私たちにとって一番だった。
互いにとって最適な距離感を理解しあい、「恋」よりも大切なことがお互いにあったからこその関係性だった。
私たちの「恋」は決してキラキラしてはいなかった。
それでも私にとって彼の存在は特別だったし、彼にとっても私が特別な存在であってくれていたならいいなと思っている。
大学生の「恋」
先日、バイト先の先輩が、彼氏に別れを告げたらしい。
「私は彼氏のことが大好きだったから告白したし、今でもその気持ちは変わらない。だけど、今の彼氏と結婚したいと思えなかったから別れた。」
とのことだった。
ついさっきまで高校生だった(と信じたい)私は、「結婚」なんて遠い先の未来だと思っていたので、大学生にもなると「結婚」を考え始めるのかぁと、純粋に感心してしまった。
友達と話していると、みんな口をそろえて「大学生になったら彼氏できると思ってたのに~!!」とか「出会いがマジでないんだけど!!」とか言ってくる。(激しく同意)
社会的にも精神的にも大人と子供のはざまにいる大学生はどんな感情で「恋」を見つけるのだろうか。
今の私にはまだよくわかっていないが、
大学生の「恋」は決してドラマチックなものではなく、もっと現実的で具体的なものであると予想している。
「恋」に落ちる瞬間は劇的かもしれないが、年齢の異なる人や異性と関わる機会も格段に増え、自分とは違う領域の人と関わることへの「刺激」に慣れてしまうのではないか。
一緒にいることが当たり前になってしまい、初々しくて甘酸っぱいあの「感情」をいつの間にか忘れてしまうのではないか。
それがある意味では、幸せで充実しているといえるかもしれないが、少し寂しいような気もする。
会えないことへの焦燥。
「恋」が実らないことへの苛立ち。
人を「好き」になることへの既視感。
その全てを気づいたときには帳消しにできてしまう、他の「刺激」がありすぎるのではないか。
恋に落ちるということは
今、私には「好き」な人がいる。
けれども、まだ「恋」に落ちてはいない(と思う)。
とても変な人で、一緒にいると純粋に面白い。
けれども、おそらく自分とは完全に正反対の性格で、考えていることの次元や大切にしていることが全く違うように思う。
今までの自分を振り返ってみると、明らかに自分と似た性格の人や生きていく上での信念が似ている人を「好き」になってきた。
自分とは違う世界を生きる人を「好き」になるのは初めてである。
自分には全くなかった発想を提案してくれるのが面白い。
価値観の違いから多様な考え方の存在を明るみに出してくれるのが面白い。
行動が私の理解を超えていて面白い。
時間の使い方が違いすぎてイライラする(これは面白くない)。
ものすごく現実的で具体的。
ときめくこともキラキラすることもほとんどないが、また違った意味での充足感を得られているように思う。
それでもまだ「恋に落ちた」と思えないのはなぜか…。
彼は正直アホな人だと思う。そして確実に天然だ(本人が気づいているのか定かでないのがまた面白い)。
私はそんな彼を甘く見ていた節がある(ごめんなさい)。
それでもある時、彼の本気を見てしまったのだ。
彼の口から発せられる一つ一つの言葉は、強くて真っすぐで…それでいてとても優しかった。
自然と涙が出てきた。心が動いた。
高校生までの私であれば、おそらくその瞬間、確実に「恋」に落ちていたのだろうが、今の私が「恋」に落ちなかったのはなぜだろうか。
誰か教えてほしい。
現段階の予想としては、
「心が動く」ことと「恋に落ちる」ことの違いを理解できるようになったからなのではないかと思っている。
ちょっとしたニュアンスの違いかもしれないが、多くの経験を積み、多様な「感情」を知ったうえで、やっとこの微妙な違いに気づけるようになったのではないか。
私が今後彼に対して「恋に落ちる」ことはあるのか。
ただ「好き」なだけの関係を維持することに意味はあるのか。
「恋」に落ちてはないけれど、「好き」であるから告白しても良いのか。
「恋に落ちる」瞬間があると信じて待つべきか。
私の「片想い」はいつまで続くのでしょうか。
大学生の「恋」は難しい。
そして大人の「恋」はもっと難しいのだろうなと思う。
でもこれだけは言える。
いつになっても「恋に落ちる」瞬間は素晴らしく、人の人生をガラッと変えてしまう威力をも秘めている(もしかしたら世界を救えるかもしれない)。
私たちが強く、そして優しく生きていけるのは「恋」のおかげなのだろうと思う。