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ほんのしょうかい:クリントン·ゴダール著·碧海寿広訳『ダーウィン、仏教、神』〈『思想の科学研究会 年報 Ars Longa Vita Brevis』より〉

クリントン·ゴダール著·碧海寿広訳『ダーウィン、仏教、神』(人文書院)


日本の歴史に関わる言説では、事件や事象において、その原因を過去にもとめ、それを前提、もしくは根拠として、事件や事象を説明するような語り口が少なくなかったように思う。それは、現在が過去の出来事によって決められているかのような語り口でもある。それでも野口良平『幕末的思考』など、原因があって結果があるという語り口でなく、原因となる様々な要素が飛び交うある時点から、どのように進んでいったのかを語る文体が増えてきているように思う。この語り口は、現在にいたる道筋においては、多くの選択肢があったこと、つまりはそうでなかったかもしれない可能性を含んだ語り方だろう。ピエール·ノラの『記憶の場』、鶴見俊輔『期待と回想』、柳田民俗学、ラン·ツヴァイゲンバーグ『ヒロシマ』と、この国における歴史に向かう知性の新たな段階が始まっているようにおもう。このゴダールの一冊も、そのような一冊である。  作者のクリントン·ゴダールはオランダ生まれであるが、大阪外語大学、そしてシカゴ大学に、日本近代の思想史と宗教史を専攻する。現在は、東北大学に席を置いている。明治維新を契機とする開国、文明開化は多くの事物や技術とともに、宗教と並んで様々な思想の流入を導いてきた。そのひとつがこの本のモチーフの進化論である。この本で、ゴダールは、「進化論が日本の宗教にどのような影響をもたらしたのかを明らか」(本書10p)にしようとする。進化論の最初の講義を行ったモースは「日本を、キリスト教や創造論の重荷を背負うことなく、ダーウィニズムと近代化を無抵抗に積極的に受け入れる一般大衆がいる国として描く」(本書11P)。日本が非キリスト教国であるという前提にたてば、進化をめぐる対立や論争は回避でき、進化論がスムーズに受け入れられたと思われがちであり、日本における進化論の受容に関しての議論は、モースの言説の域をでるものではない。けれども、日本においても進化論は、実際には、さまざまな思想潮流と絡み合いながら多くの論争を惹起し、その受容の過程で宗教の分野に限らず文化、社会、政治の領域でも様々な影響を与えることになった。本書では、進化論の論争やそれを担った人々を丁寧に扱うことで、万華鏡のようなその多様性を明らかにし、そのことによって多くの可能性を導いてくれる。非常に示唆深い一冊である。 わたしにとっても進化論に関しての考察、それ以上に、興味深かったのは、日本に於いて日常的な存在であった「宗教」が、西洋の諸思想との出会いによって、思考、学問の対象として「宗教」という概念が、形成されていったということである。一人称で語られていた「信仰」が、わたしから引き離された三人称の場で、語られる「宗教」という概念に変わっていった。鶴見太郎は『柳田国男』(ミネルヴァ書房)の中で、柳田国男は、哲学が席巻する前の時代に青年時代をすごし、そのことが彼の学問を特徴づけていると評している。日本の学問のフレームを再検討する上での、この視点は大切なものである。西洋諸科学、学問との出会いと受容は、日本人の世界観、思考形態も影響していった。科学や哲学が当たり前にあると思いがちな自分たちにとって、その成り立ちを学び、それを反省する一歩としても参考になる本だと思う。(本間)



『思想の科学研究会年報』は、研究会のウェブサイトで読めます。四号、公開も始まりました。

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