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ほんのしょうかい:司修『戦争と美術』〈『思想の科学研究会 年報 やまびこ』より〉

司修『戦争と美術』(岩波新書)

『戦争と美術』この本は、画家の司修氏によって書かれ、ソ連崩壊後の1992年刊行された本である。三〇年たった今日、今こそ読み返す本のように思う。

『戦争と美術』、この本は、州之内徹との対話から生じた疑問から始まる。その躓きと逡巡から、そして出会いから「戦争画」について書くことが宿題となり、踏み出しては立ち止まること数年にして導き出された本である。

 松本竣介と藤田嗣治、二つの石を置き、それに対峙しつつ美術における表現の内発性と世の評価の問題を絡めていく。戦時下の状況という大きな力場の中で、彼岸と此岸を渡るように、振り返るように、松本と藤田、二人の態度、生き方、作品を考える。
 誰かに評価され求められなければ、作家としては成り立たない、けれども自分の内から現れたものでなければ、自分の作品にはならない。戦時下における迎合と抵抗。藤田、そして松本を考えることは、司にとっては画家としての自分自身を問うことでもあった。そして、それは、州之内徹への問いかけを続けることでもあった。

 シャガール、レニー・リーフェンシュタール、家族を失い、ロシアのユダヤ人迫害からイスラエルに逃れたジョセフ・コサコフスキ、戦争や国家に翻弄された作家たちに向き合いながら司は問い続ける。

 『戦争と美術』は、表現の大地に放り出された一人の画家が、自分の主体を求めて彷徨った航跡を振り返ったものでもある。けれども、状況に投げ出されて右顧左眄するのは、一人絵描きだけであろうか。イスラエルのガザ侵攻が続いている。ウクライナの戦乱も終わらない。それ以前から、世界の至る所で戦禍は繰り返されている。結局、大戦の時代は終わったのであろうか。
いかに生きるか、自分の主体性を、自分自身の有り様をつかみ損ねているのは、彼らだけであろうか。状況に巻き込まれたとき、自分をどれだけ保てるのか、はっきりと答えられるか、自信が持てるものではない。だからこそ、この本をここにあげる意味もあると思う。


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