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【画廊探訪 No.171】水面は、自然を受肉して、光を写す――風早小雪個展“Spirit of the forest”に寄せて――

水面は、自然を受肉して、光を写す
――風早小雪個展“Spirit of the forest”Gallery FACE to FACに寄せて――


襾漫敏彦
 
 樹々や陽光、自然は、森にたたずむ僕等の心のうちに何を伝え表すのだろうか。それは陰影であったり、光まばたく色の散乱だったり、水面に映る月かもしれない。それは、心の中で表されては現れながら、風や雲、水滴、そして細波によって静かに揺れ動く。



 
 風早小雪氏は銅版作家であった。それは、シャープな線を描くエッチングでなく、ぼんやりとした暗がりに光を灯すようなメゾチントを主に制作していた。



 森の風景を中心にした今回の個展では、版画でなく、ドローイングが中心で、油彩や墨、そして木炭によるものが展開していた。しっかりとした陰影によって描きぬかれた樹影は、自然の身体性と、光と緑の吐息を吸い込んだ風早の身体性の交わりをよく示している。




 
 西洋との交わりが始まった頃、写実、写生という考えが、このクニで重きをなすようになった。それは、世界の、自然の、人をとりまく森羅万象の本来のあり様(さま)を写しとるということであった。その本来の姿とは、真実、ありのまま、自然、生命そのもの、理念(イデア)、そして人は、具象であれ、抽象であれ、普遍的な法則であれ、現実を超えてあれ、己が信じた理想郷で写しとり再現しようとする。



 
 風早は、森の中、木漏れ日の光で浮かびあがる受肉した自然たる樹々を、湖や川の揺れる水面(みなも)で受けつつ表現していく。彼女にとって、真実は、真理は、受肉した生命、身体と共にある。真(まこと)とは、私という生命を抱き育む自然であり、樹木の姿である。それは、外との交わりによって浮かびあがり、自分の身体をプリズムレンズとして、散り乱れつつ彼女の中に広がっていく。彼女はそれを魂の受肉態である精神で受け止め水面に写し表現する。
 水面は、薄絹でできた心のスクリーン、精神は、共にうつろいゆれるからこそ風早にとって魂の真を写すものなのかもしれない。
 



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風早小雪さんのWEB SITEは、はっきりしないのですが、ネットで調べるといろいろと情報と画像も出てきます。

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