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【画廊探訪 No.148】隙間がもたらす私との対話―――岸紗英子展 『記される日のひとつに』――― 

隙間がもたらす私との対話
―――岸紗英子展 『記される日のひとつに』 JINEN Gallery ―――
襾漫敏彦

 異質なものを貼り合わせて、一つの世界を創造するコラージュの技法は、第一次世界大戦を通過したヨーロッパの芸術文化の中で花開く。様々な文化を、拾いまとめていた統治や宗教の枠組みの崩壊は、覆い隠していた傷跡の如き生々しい断層をあらわにする。

 岸紗英子氏は、コラージュをモチーフの一つとして創作活動を続けてきた。封筒、便箋、葉書、反古、箱の厚紙と身近にあふれるものを記憶のコルクボードに貼りつける。彼女は時の変化をうけて変質したり、プリントが色褪せた古紙を好むが、それは回想を、そして記憶の象徴である。又、彼女は網目状のシートも使うが、それは、記憶の場所を定める座標かもしれない。もしくは、忘却の川に流されてはもれていく記憶の欠損を表しているのかもしれない。



 コラージュは新しいようで、伝統的な手法なのかもしれない。西洋の貴族の紋章も様々な象徴のコラージュだろうし、中世カトリックの宗教版画も象徴図像をつめこんだコラージュである。宗教画も、多くのアトリビュートを配置して語るコラージュである。
 本邦でも、屏風や襖絵、百人一首や花札もコラージュの一種であろうし、絵巻物も時すら貼り込んだコラージュである。そもそも、仏像自体が、立体コラージュである。
 そして、私そのものも異質なもののまとまりともいえる。けれども己を振り返ると想起される記憶は、選り好みされる。


 今回、岸は、コラージュの上に格子のシートを立体的に配置した。今の自分と想起されるかつての自分の二重構造を、二つの間隙をおくことで表現したのだろう。
 至福直観、キリスト教の世界では、最後の審判の日、神と対面し、その罪を赦されることで至福を得るという。けれども罪の自覚は、完全な想起なしにはおこらない。罪の自覚のように、己を自覚できるのか、できないのか。岸のコラージュはそこも含めて、空間に幅をもたせたのかもしれない。


********    ******   *岸さんのサイトです。

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