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【画廊探訪 No.169】鏡の向こうに息づくもうひとつの世界――樹乃かに個展「誰が扉を開けるのか」贈る――

鏡の向こうに息づくもうひとつの世界
――樹乃かに個展「誰が扉を開けるのか」Gallery FACE to FACに贈る――
襾漫敏彦

 江湖には、数え切れぬくらいの生き物が溢れている。それは、はじまりの一個の細胞から枝分かれするように生まれてきたものだろう。分かれた枝と枝の間には、あったかもしれない生き物の可能性がある。それらは、虚数の空間、冥の場にあって、現(うつつ)の実の世界をうかがっている。



 
 樹乃かに氏は、イラスト、挿絵、ドローイングを含めて多くの仕事を成してきた。彼女は、デジタルや手描き、それらの手法を様々に組み合わせては、型にはまらない作品を描く。ネコをはじめとする動物、そして空想上の存在を描いているが、それは精神体としての存在であり、形を取らない存在であったりする。そして、それは、形を照らす光が生まれる前の形以前の根源的世界の住人なのだろう。



 
 現(うつつ)には、様々な姿に枝分かれした数多(あまた)の生き物(アニマ)が蠢いている。枝の分かれたもとへもとへと辿っていくと、それはひとつのものに行きつく。そのひとつの始まりから生命は、色彩やかに進化していったが、それを可能にした力、衝力がある。それをベルグソンは、エラン・ヴィタール、“生命のはずみ”といっている。



 “はずみ”に衝き動かされて、ある方向へと盲目的に邁進する生命の流れは、何かのきっかけで枝わかれして大きく広がる。そのどこかで、アニマルとプラント、グリーンが、大きくわかれた。けれども、動物でも植物でもないものが、一寸としたはずみで生まれた可能性があった。
 世界はいま、このようにしてある。けれども、そうでない世界もあったかもしれない。僕等の中には、あったかもしれない世界すらつくる光が生まれる前の根源の闇に潜む“はずみ”が息づいている。いつでも、もう一人の自分を探してしまうように樹乃は現(うつつ)の中に、冥界や虚数の世界の住人を見てしまうのだろう。


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樹乃かにさんのサイトです。


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