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思想の科学研究会春の公開シンポジウム、まだ間に合います

思想の科学研究会、春の公開シンポジウム、ご招待です。

事務局長の本間が会報に書いた文章の抄録を掲載します。

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 教育が悪いということは他人事のように語ることはできるが、果たして、自分たちの受けてきた教育はまともだったのだろうか。そして護るべき教育とは。
 我々は、議論をするときに、誰にでも通用する正しいことを引き出しては、そこに自分のスタンスを寄せていきやすい。そこに、本当の自分の思想や思索はあるのだろうか。自分の体験から、歴史や社会と触れて、自分自身の生き方を選択してきたのであろうか。
 改めて、自分はどのような教育をうけ、自分で考えることを育ててきたのかということを点検する必要もあるのではないだろうか。
経世済民の志を抱いて、地域の共同体の自主性、自治性を求めた農政官僚であった柳田国男は、上からの改革の限界を知り、共同体に残る伝承の中に〈いま/ここ〉で生き抜くための生活の〈ちえ〉の可能性を求めた。その研究会の大先輩である柳田から学ぶことはまだまだ限りなく多いと思う。

今回の総会の公開シンポジウムは、『柳田国男と学校教育』の著者である杉本仁さんにお願いした。彼の著したこの本は、大きく三つの部分から構成されている。
まずは、敗戦後の民主的な国を支える公民を育てるための教育の刷新のため、柳田が試みた教科書作成とその理想とする教育の考え方、そしてその挫折が描かれている。
 そしてもう一つは、柳田の目指した〈いま/ここ〉から自分で考える力を養う理念を持つ学校教育が、分科的なカリキュラム教育に衰退していくと共に、民俗学研究所が解散、再編され民俗学の大学でのアカデミズムと野の学とに分裂していく様子が描かれていく。
 それに続く第五章では、官制アカデミズムに対して、そこでは漏れ落ちてしまう野の学としての民俗学の展開が説明されている。ここでは庄司和晃、益田勝実らによる柳田教育学の実践、そして西郊民俗学談話会や後藤総一郎による常民大学運動が説明されている。
 研究会としても注目したいのは、後藤総一郎による活動が、鶴見俊輔や、「記号の会」と絡み合っていることである。第三次の「記号の会」では一年かけて柳田国男全集を通読したということも聞いたこともある。この本の中でも松本一寿(本文ママ)や上野博正といった関係者でなければ上がらない名前が挙げられている。
 日本社会が置き去りにしてしまったものの中に、改めて民主主義を支える公民の有り様の可能性を、今回のシンポジウムを通じて皆さんと考えていきたいと考えています。
ーー思想の科学研究会、会報198号より

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4月29日、14時からですが、まだ、少し時間ありますので、興味ある方は、研究会のウェブサイトにアクセスしてください。



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